はるかなまほろば
それぞれに複雑な表情を浮かべている源氏勢を見て、は平家との違いをまざまざと思い知る。少なくともの知る限りの平家では、こんな、意見を共有していなければならないだろう面々が互いの胸の内さえ分からずにそれぞれの思惑で考え込む場面など、見たことがない。
それぞれに思惑はあろう。だが、それを曝せるだけの信頼が互いに存在し、少なくとも共通の観念を据え、それにのっとった行動を取るという姿勢は徹底している。それが個人的な親交もあるともなれば格別で、酒の席での将臣など、必死になって知盛に胸の内をぶつけているのがもはや日常の姿だ。
無論、それがごく特殊な例であることもまた知っている。いかに気さくな将臣でも、年齢の離れた忠度あたりには礼を尽くしての言動を心掛けているようだし、知盛に訴えるような突飛な話は明かさない。それでも、一門の将も重鎮も、誰もが知っていることがある。還内府は、和議の締結を望んでいるのだと。
とて願いは同じだ。知盛が、将臣が、いくら強かろうと戦場に絶対はない。あるとすれば、それは誰の命も等しく喪われかねないというその一事のみ。そして、彼を喪うかもしれないとの恐怖は、戦を終わらせてこそはじめて緩和される。
「ですが、そうですね。鎌倉殿の方針をお聞かせいただけるなら、いくばくかは明かしましょうか」
ふと思い立って示した駆け引きの条件は、だから、未来を探るための一手を得ること。の知る限り、知盛は源氏という一族そのものよりも、鎌倉に構える頼朝を仰ぐ勢力をこそ警戒していた。
は、平家物語を基としたおおざっぱな歴史の流れとその裏話を将臣から聞いている。教えてくれた将臣といい、聞き知ったといい、事実を根拠とした警戒と不信はしかし、この世界の住人たる知盛には抱きようはずがないこと。彼は、何も知らないのだから。
だというのに、知盛は正しく史書をなぞっていく。いや、将臣いわく、史書以上の慎重さと規模の大きさで、知盛は歴史の流れをなぞりながら、平家に対する風向きをじわじわと変えているのだとも。
「どうしたんです? 唐突に。心変わりですか?」
今度は不信感もあらわに揶揄の笑みを返し、けれど隙なく構えている弁慶に、は小さく苦笑を浮かべる。
よくやってくれたとも思うし、よくもやってくれたとも思う。あの抜け目ない別当は、九郎達がこうしてに確認を取ることまで見越してああやって話を披露したのだろう。望美がなぜ出会ったこともない還内府を知るかのような言動を示したのかはわからなかったが、和議の話を出す勢力など、当事者たる源平両家をおいてほかには考えにくい。当然の帰結たるこの問答なのだ。
「申し上げたはずです。交渉の余地ありと判じたならば、応じると」
「でも、だからっていきなり頼朝様を引き合いに出すのは、やりすぎじゃない?」
「一門が要たる方のお考えを明かせと言いながら、そちらは同じだけのものを返すつもりさえないと? 侮るのも、大概になさってください」
「これは、手厳しい」
「うわ、そういうつもりじゃなかったんだけど」
苦笑を浮かべた景時のさりげない交換条件の引き下げには、嫌味と皮肉を丁重に。面白いとばかりに唇を歪める弁慶とは対照的に、景時は心底困り切った様子で頬をかいている。
「ですが、それはこちらにも言えるのですよ。あなたが本当に、還内府殿や新中納言殿の真意を明かしてくださるという保証はありません」
「その情報の真偽を含めて、正しきものを選り抜くことこそがあなたの役目では?」
「……御身が捕虜であること、お忘れですか?」
すっと低められた声は、淡々と、しかし確かな重みと鋭さを込めて。過ぎた言動は身を滅ぼすぞと暗に語る弁慶にくつりと笑い返し、もまた低めた声で応じる。
「わたしは捕虜である以前に、平家の将です。どうぞ、その辺りをお忘れなきよう」
お前達に気を遣う義理などない。あくまで自分は平家のために戦っているにすぎない。丸腰であるにもかかわらず、微塵も臆した様子なく凛と言い切る姿はいっそ高潔。
思わず目を見開いて突き返された言葉を反芻し、今度こそ弁慶は諦めの溜め息を深々と吐き出す。どうにもならない相手もいるものだと、遠からぬ過去で甥に語った己の言葉が、胸の奥で疼く。
しばしの沈黙ののち、口を割ったのは九郎だった。
「兄上がこの件に関して、いかなお考えを持たれるか、はきとは量れん」
「ちょ、ちょっと九郎!」
「いい。言わせてくれ」
慌てて腰を浮かせかけた景時を腕で制し、真摯な瞳が続く言葉を呑みこませる。困惑を隠さず、しかし逆らうこともできずに拳を握り締めて俯いてしまった景時から視線を引きはがし、に向き直って九郎は続ける。
「だが、俺個人としては、悪くない話だと思う」
「……あまり、気乗りしていらっしゃらないようにお見受けしましたが?」
「あれは唐突に言われたからだ。ヒノエが別当であるということにも混乱していたのに、さらにあんなことを言われては、まるで出し抜かれていたようで腹が立った」
仮にも一軍を預かる総大将であるというのに、あまりにもあっけらかんとその内心を明かして九郎はにまっすぐに対峙する。
「少し考えれば、俺にもそれがどういうことかぐらいわかる。……たとえ怨霊と化したとしても、還内府はただ、一門の者を守りたいのだろう」
その思いは、敵味方関係なく認めるべきものだと厳かに受け入れ、鋭い眼光が迷わずに注がれる。
「だが、それは俺達も同じだ」
「心得ております」
「だから、俺はこの話に対する平家の意志を知りたい。いや、知らないとならない」
心地よい視線だと、思わず唇を円弧に吊り上げながらはよく似た眼差しを思う。迷いのない、覚悟と希望を同じほど混ぜ合わせた瞳。色味の違いは関係ない。寄る辺の違いも、信ずるものも。ただ、同じ意志の強さを感じる。
Fin.