朔夜のうさぎは夢を見る

はるかなまほろば

 そのまま立ち去ったヒノエを見送り、それぞれが与えられた部屋に引き返す中、女性陣と共に退出しようとしたを呼び止める声がかかる。
「少し、いいだろうか」
「はい」
 苦味を取り繕おうともせずに声をかけてきたのは九郎。その背後には景時と弁慶が控えている。考えるまでもない。先のヒノエの話について問い質したいことがある、といったところだろう。気遣わしげに見やる朔と、内心の読めない表情で見つめてくる望美に小さく会釈を残し、は促されるまま九郎が居室として使用する局へと足を向けた。


 目的地に着いて全員が腰を下ろすや、身を乗り出すようにして口を開いたのはやはり九郎だった。
「先のヒノエの話、聞き覚えはあるか?」
「平家の中に、和議を願う方がいらっしゃるか、ということですか?」
 室内に女性はのみ。それは実はが牢から出されて以来、はじめての状況である。気を遣っているのか、九郎の袖の裾をさりげなく押さえている景時に小さく目礼を送ってから問い返したに、しかしすぐさま弁慶からの補足が入る。
「還内府殿と新中納言殿のお考えを、ぜひともお聞かせ願いたいのです」
「……たかが一介の将に、一門の中枢の方々のお考えなど、わかろうはずもございません」
「熊野には明かせても、源氏には明かせないということですか?」
 ひとまずは穏便にと、当たり障りのない言葉を返したに、弁慶は一歩も退かない。反対に踏み込む言葉を投げつけられ、は思わず目を見開いて真顔の弁慶を凝視する。
「僕は熊野の出なんです。懐かしく散策をしている最中に、偶然、興味深い会話を耳にしまして」
「………でしたらなおのこと、わたしが何を知っているわけでもないこと、おわかりいただけるのではありませんか?」
「ですからなおのこと、あなたの知る還内府殿と新中納言殿のご意見を知りたいのですよ」
 飄々と嘯く弁慶は、掴みどころのないことこの上ない。真意の見えない問答には応じるつもりのないだったが、今目の前にいる弁慶の内心ほどわからないものははじめてだった。これまでの尋問のような、ただ源氏への益を目指した問答ではない。それはわかるが、ではいったい弁慶は何のために、何を知らんとしているのか。それがまるでわからないのだ。


 の戸惑いと不審を感じたのだろう。ふと微苦笑を浮かべ、弁慶は小さく首を傾げる。
「別に、あなたが知っていたことをこれまで黙っていたのだとして、あなたを責めるつもりはありませんよ」
「責められるいわれがありません」
 だが、その笑みを頭から信じるほどは世間知らずではないし、弁慶という人間を見誤っているつもりもない。真意を明かすつもりがないのなら、こちらもまた真意など明かそうはずがない。願いと現実はまったくの別物。彼らは決して、与えられる以上のものを率先して捧ぐ相手ではないのだ。
 遠まわしに、しかし確実に。いいから明かせと突きつけられる要求には、真っ向からの拒絶を示すに限る。すげなく答えたの態度の硬化を気に留めた風もなく、耳に穏やかな声と言葉は続いていく。
「判断材料が欲しいと、それだけです。もし先ほどのヒノエの話が真実なのだとすれば、我々としてもそれなりに対応を考える必要があります」
「たとえば、和議を隠れ蓑にして奇襲を仕掛けてみたり?」
 どこか宥める口調の弁慶に反して、はいっそ喧嘩ごしともいえる刺々しさであった。ひやりと切り返す内容はあまりにも攻撃的であり、傍で聞いていた九郎が、ついに眉を逆立てて身を乗り出す。
「そのように卑怯なこと、するはずがないだろう!」


 そうであろう。九郎は策謀には向いていない。戦術として奇抜な奇襲を思いつくことはあろうが、決して卑怯な真似を好む性格ではない。相手の純粋な油断を衝くならばともかく、寄せられる信を裏切ってまでの勝利は好まない。それは、短い時間とはいえ、傍で過ごす間にが至った九郎という人間に対する評価だ。
 だが、同時には忘れていない。源氏軍を動かしているのは主に九郎でも、動かす権限を持っているのは鎌倉に居座る頼朝なのだ。
「九郎殿がどうお考えになろうと、鎌倉殿がそうお命じになれば、従われるのでしょう? そして、わたしは鎌倉殿を一切信用しておりませんから」
「平家にとって疫となりかねないことは、口にするつもりはないってこと?」
「たとえ囚われの身とはいえ、わたしは一門の皆様を危難に曝しかねないような真似はいたしません」
 いつになく固い表情で確認を向ける景時に対してそっと顎を引き、は淡々と続ける。
「熊野は交渉の余地のある相手。ゆえこそ、取り引きに応じました。それだけの話です。源氏もまた交渉の余地ありと、そう判じられない限り、わたしが平家について口を割ることはありえません」
「それと引き換えに、あなたの身柄の自由を保障すると言っても?」
「源氏の軍師殿は策謀に長けた御方。その甘言には一切耳を貸すなと、きつく申し付けられております」
 迫る気迫をさらりと受け流し、はんなり笑いながらは切り返す。
「ご所望の新中納言殿のお考えは、その程度しか明かせることなどございません」
「……困った人達ですね」
 いっそ清々しいほどのわざとらしさで実に悲しげに溜め息を吐きだし、弁慶は視線を伏せた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。