朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえの先までも

 ウィンドウショッピングをしながらぶらぶらと通りを歩き、それこそ他愛のない会話を繰り広げる。過去を埋めるためではなく、ただ現在を共に過ごすために。
 反物屋で生地を色々と吟味し、小物屋では様々な柄の扇に郷愁に耽る。茶店で一息入れながら共に甘党であることに思わず驚いて笑ってしまい、照れたように拗ねられて必死に弁明を繰り広げる。
 嬉しくて嬉しくて楽しくて、周囲の様子などには見えていなかった。ただ知盛のことだけで頭がいっぱいで、だからただでさえ平和にのんびりと時間を重ねることで鈍っていた無意識にも周囲の気配を探る勘が、まったくもって機能していなかった。
 もちろん、それだけを理由とするのは苦しいものがあるが、つまりはそういうこと。
?」
 店を後にして通りに出たところで、並ぶ知盛のさらに向こう側からかけられた声に「はい?」と答えながら首を巡らせたのは条件反射だった。呼ばれなくなって久しい音ではあったが、それこそが自分の名であるという認識はもはや反射神経にしみ込んでいる。だが、呼びかけてきた相手には少なからぬ問題があった。
 見やった先には見知った相手。それは構わない。ただ、そういえば彼にはまだ自分の真の名を告げた覚えはないと思い出すと同時に、呼びかけに反応した己に相手が実に驚いた様子で目を見開いたのだ。


「ああ、サヤか」
 呼吸をひとつと半分ほどだろうか。わずかに息を呑む時間を置いて、目を見開いた銀色の十番隊隊長は距離を詰めながらふわりとやわらかく目を細めた。
「そういや、退院したんだったな。調子はどうだ?」
 そうだ。サヤ、と。彼にそう呼びかけられることには慣れている。義両親も店に勤める他の従業員も、馴染みの客ものことを依然サヤと呼ぶ。それはそれだと思っているし、がそれで己を見失うようなことはもうありえない。
 この世界ですっかり定着してしまったこともあり、無理に訂正することもなくサヤという呼び名はそのまま使っていこうと決めている。だから、当然ながら日番谷はをサヤと呼ぶべきであって、まかり間違ってもと呼ぶわけがない。
 つい混乱してしまい、しばし黙考に耽っている間に日番谷は返答がないことを不審に思ったのだろう。何か言わねばとが言葉を拾い上げるよりも先に、浅く眉間に皺を刻んで日番谷が振り仰いだのは、深紫の双眸。
「おい、
「えっ?」
 またも反射的に声を上げて、自分の驚愕と意外の念にすっかり塗り固められた己の声を聞いてから、はようやく違和感の正体に辿り着く。それこそ驚きと困惑だらけの翡翠の視線に構うゆとりもなく、どこかばつが悪そうに珍しくも視線をあさっての方角に流す知盛のことを気遣うゆとりもなく。
「……どういうことだ?」
 途方に暮れたような日番谷の問いかけにが返せるのは、自分こそが聞きたいという訴えでしかない。


 店先を塞ぐ形でぼんやりと立ち尽くしていては、営業妨害にしかならない。まして、その営業妨害の一部が死覇装と隊首羽織を纏っているとあっては冗談にもしゃれにもならない。とりあえず場所を移すべきだと提案したのは、いつの間にやら場に加わっていた十番隊副隊長であった。
 とはいえ、それこそ護廷十三隊の隊長、副隊長とごく一般人の姿をした死神、それから正真正銘一般人という取り合わせの一行など、どこにいても悪目立ちするだけである。とっさに思いつく場所がないにぱっちりとウィンクを投げかけ、乱菊が向かった先はなんとの自宅でもある料亭。
 日番谷はいたく不機嫌そうな表情を浮かべていたが、葛藤をみせながらも強く駄目だと言い切らなかったあたり、疑問を解消したいとの欲求がどうやらわずかに勝ったのだろう。どうせもう業務時間も終わりじゃないですか、と。にこにこ笑って押し切る乱菊の言葉尻にかぶせて終業の鐘が鳴り響いた際には、何という強運の持ち主なのかとはしみじみ感心してしまったものである。
「で? で? どーいうことなのよ?」
 にこにこと笑って出迎えてくれたの義両親は、気を利かせて空いていた個室を提供してくれた。そのまま適当に料理と酒を見繕ってもらい、夕食会は楽しげな尋問と共に開幕する。

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。