朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

 それに対してちっとも申し訳なくなど思っていないだろう慇懃無礼な口調で軽く頭を下げ、そして知盛は「それで」と続ける。
「十番隊宿舎に宿泊を、との話でしたのでこちらにお連れしましたが、宿舎までお連れした方がよろしいでしょうか?」
「ああ、ここでいいわよ。ついでだからアンタ達も上がっていきなさいよ。おいしい最中があるの」
「上位席官の方々の集う席に身を置くことなど、憚られます」
「それは面倒だから、でしょ? 畏まってなんかないんだから、上がっていきなさいって。アンタ、ちっともあたし達に敬意を持ってなんかないじゃない」
 どう聞いても口先だけだった遠慮の口上に乱菊がばっさりと切り返せば、状況を察した恋次と織姫、一護は血の気が引く思いだったが、当の知盛は気にした風もない。
「自隊の隊長・副隊長ならばともかく、人品さえろくに知らぬ方々に対しては、最低限の敬意しか払えぬのは道理というもの」
「……随分とハッキリ言うわねぇ」
「上面に騙され、痛い目をみたのはつい先頃のことと、記憶しておりますゆえ」
 しみじみ感心した表情だった乱菊も、しかし、その発言にはひくりと表情を凍てつかせる。それは、あまりにも微妙な傷口。誰もが癒そうと躍起になり、けれどまだあまりにも生々しいからと、直視することさえ避けている、忌まわしい記憶にさえなりきっていない、過去。


 顔色を失くすよりも先にそれぞれの胸に去来した苦い思いが次々に怒りに変換される中、唯一、ただ場の空気のマズさに真っ青になっていた織姫は、乱菊たちで埋め尽くされた窓の向こうから響いてきたひどく落ち着き払った声に、さらに血の気が引く思いがする。まさか、その発言がこの中で一番堪えるであろう相手がこの場にいるとは。
「…………それは、俺に対する嫌味か?」
「それを自責して、病み上がりの体を労わる素振りもみせないような方がいらっしゃるのなら、そうでありましょう」
 かたり、と。筆を置いたそれだろう軽い音がして、次いで深々と溜め息を吐き出す気配がある。さらに具体的になった痛烈な皮肉に乱菊がきっと眉を吊り上げるよりも先に、いまだ姿が見えない幼くも威厳に満ちた声が指示を飛ばす。
「中に入ってくれ。往来でその毒舌を披露されたんじゃ、堪えるヤツも少なくねぇだろ」
「ご自覚が、おありですか?」
「その胡散臭い敬語もやめてくれ。そのためにも、中に入ってくれ。……わかった。診察を受けるから」
 何かを諦めたようにぐったりと疲れ切った声を出した窓の向こうの相手に、薄く笑むばかりだった知盛が今度こそはきと微笑む。そのまま「参ろうか」と織姫を促して十番隊隊舎の玄関へと向かった背中と室内で珍しくも率先してソファへと向かう十番隊隊長の背中を交互に見比べ、うっかり怒りの矛先を好奇心へとすりかえられてしまった乱菊は、茶の用意を要求する声に慌てて踵を返した。


 どこかしらで行きあったのだろう十番隊隊士に案内されて執務室に現れた新たな客人は、隊舎の主に勧められてソファに向かう。
「十番隊にて預かっておいでの旅禍、井上織姫殿を、確かにお送り申し上げました」
「ああ、確かに受け取った」
 先の会話の互いに諒解しあった様子が気になって仕方なく、言葉を挟むことなく様子見に徹している乱菊たちの前で、しかし当人たちはまず事務的な話を片付けることからはじめたらしい。先に腰を下ろした織姫の横に立ち、ぺこりと頭を下げて知盛がそう申し送れば、慣れた様子でソファの上から日番谷が頷き返す。
「とりあえず、座ってくれ。どうせ今日はもう上がろうと思ってたんだ。診るのは後でいいだろ?」
「早めに休むという心がけがおありなら、あえて邪魔立てはしますまい……。これにて失礼させていただくので、後日、お時間をみて綜合救護詰所にいらしていただければ」
「それじゃあ別のヤツになるだろ。経過を診るだけなら、あんたがいい」
 言ってもう一度座るよう促しかけ、そして思い直したように日番谷は既にソファに座っていた乱菊を振り返る。
「俺はもう上がる。何かあったら地獄蝶でも飛ばせ」
「え? 隊長?」
「あんたも、もう上がってるんだろ? 飯でも食いにいこうぜ。ついでに、聞いておきたいことがある」
「……尋問の類には、もう飽きたのだが」
「心当たりがあるんなら話は早ぇ。砕蜂あたりが痺れを切らす前に、俺で手を打っとけ。事情があるなら斟酌する」
 随分と物騒な会話を交わしていたくせに、さっさと立ち上がった日番谷を、面倒だとただそれだけを雄弁に語る瞳で見やり、そして知盛は事の成り行きにぽかんとしている織姫に視点を移す。

Fin.

back --- next

back to another world index
http://crescent.mugetsunoyo.yomibitoshirazu.com/
いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。