とこしえにも似たるもの
しかし、知盛の用向きはそれでは終わらなかった。そのまま詰所の玄関まで見送ってやった織姫が、半刻ほどの時間を置いて戻ってきて、今度は知盛を呼び立てているというのだ。
「私を? 山田七席ではなく?」
しかも、その旨を伝えにきた相手がまた馬鹿げている。なぜに今日はこんなに来客が多いのかと、うっかり溜め息をつくこともできない上司である。
「おーよ。一体どこでたぶらかしたのかは知らんけど、せっかくだから顔繋いで来いよ。昇進に繋がるかもだぜ?」
ついでだからデートしてこい、飯でも奢ってやれよ、朝早かった分、今日はここで上がっていいからさ。そうぽんぽんと言葉を重ねられて、知盛に正当な断りの理由は残されていない。終業時刻まではあとわずか。本日の職務でこなすべきことは終了し、どうせだからと周囲の仕事をいくらか請け負いながら、明日のための準備もうっかり終わったところであることは机を見れば明らか。
「ほらほら、休みを図書館通いにしか使わない堅物のクンにようやく訪れた春を、オレたちは全力で応援するからさ。心配すんな。世界の壁なんか、いつかあの子が突破してくれっから」
言い分に対して言いたいことはいくつかあったが、なぜか周囲が強く頷いているのを見て知盛は文句を諦めた。それは余計な労力にしかならず、そして徒労に終わるだろうことが目に見えている。
「では、お言葉に甘えさせていただきます」
「よーし行ってこい。報告は口頭で上げてくれればいいからな」
報告も何もないだろう、とか、どうせ注目度抜群の旅禍の一人とうろついていれば、勝手な噂が明日には広まっているだろう、とか。言いたいことはやはり様々にあったのだが、この上官には言うだけ無駄であることも知っている。決して了承の言質は取らせず、黙って一礼しただけで机をさっさと片付けて、ご期待通りのデートを演出するのが部下の務めというものである。
手荷物などほぼないに等しい。懐にしまってある財布の中身を一応確認したのは、念のためだ。彼女はこちらの常識を知らないだろうが、女というのはどこにあっても、男に物をねだることに長けているというのが知盛の認識である。
「お待たせしたか?」
「あ、知盛さん!」
待合室のソファで所在無さげに足を揺らしていた織姫は、声をかけるやすぐさまきらきらした表情で振り返り、そして同じぐらいの速度で眉尻を下げる。
「あの、ごめんなさい。お仕事中ですよね?」
「いや、今日はもう上がった」
ゆえに気にするなと言外に告げ、通りがかる隊員の目線が鬱陶しい知盛はまず織姫の用件がこの詰所の中にあるのか外にあるのかを問いただすことにする。
「して、いかなご用件か?」
「えっと、あの、私、まだこの辺の道がわからなくて、」
「書類を届けにきたはいいものの、帰り道がわからず、迷われた……と?」
「そういうことです」
恥ずかしげに俯き、もじもじと指を組み合わせる姿は微笑ましい。先んじて続けてみた言葉に素直に頷いた後頭部を見やる視線をほんの少しだけ和ませ、知盛は「行こうか」と声をかける。
「ついでに、予定がないのなら、共に軽食でもいかがか? 先の書類の礼を、させていただきたい」
「ええっ!? そ、それは悪いですよ」
「構わんさ。昼が慌しかったから、小腹が減っていてな……。お付き合いいただけると、嬉しいのだが?」
小娘の一人や二人、うっかり流して丸め込むぐらい知盛には造作もない。遠い記憶だが。そっと双眸を細めて声に色を載せ、膝の上で組まれていた指を掬い上げてしまえばもはや、拒絶の言葉など紡がせはしない。
聞けば、彼女は十番隊宿舎の一角に部屋を借りて寝起きをしているとのこと。今回の一件に大きく関わっていた十番隊の隊長と副隊長は、そういえば面倒見のいい性格で名が通っている。どうせ、あの気さくな副隊長が彼女を率先して引き受けたのだろう。面倒見はいいくせにそれを表に出したがらない仏頂面の隊長を思い返し、知盛は薄く口の端を吊り上げる。
「そういえば、四番隊ってことは、知盛さんも治療とかが得意なんですか?」
「得意、というよりも、そういう性質というだけのことだが」
それまでは一方的に言葉を積み重ねる織姫にぽつぽつと相槌を打つ程度だったのだが、ふと振られた問いかけと答を期待する表情に、知盛はゆっくり口を開く。
「十番隊におられるということは、日番谷隊長のことはご存知か?」
「はい。冬獅郎くんですよね?」
あの気難しく気位の高い隊長をこうも気安く呼べる織姫に小さく喉を鳴らしてから、けれどそこはあえて触れぬまま知盛は言葉を継いだ。
「日番谷隊長の斬魄刀は、氷雪系。つまり、ご本人の霊力の質も、そちらに偏っておいでだ」
「えーっと、じゃあ、山本総隊長は炎な感じの霊力ってことですか?」
「まあ、簡単に括ってしまえば」
恐れ多くも死神の頂に立つその人を引き合いに出す度量を見せ付けた織姫にさらに笑いを重ね、知盛はついでとばかりに彼女の側に下ろしていた左手に己の内を巡る霊力を具現化させる。
「そういう括りの中で、俺の力は流水系に分類される。……霊力の流れを最も微細に調整しやすいこの性質は、全般的に治癒系の鬼道に向いている。上位席官の方々がそれに限らぬゆえ、一般的に認知されてはおらんがな。四番隊を大まかに分類すれば、流水系やそれに近い能力を持ったものが、一番大きな割合を占める」
「そうなんですか」
ぽかんとした様子で説明を飲み込み、織姫は興味津々といった表情で知盛の指先に灯る淡い白銀の光に指を寄せる。
「触ってみてもいいですか?」
「触れるより、十番隊についたら、そこで少々気の流れを整えて差し上げよう。その方が、きっと実感も得やすかろうゆえ」
「本当ですか? お願いしますね!」
くるくると表情を変える様は、実に微笑ましくまばゆい。あらゆる方向に対して疲れきった様子だった十番隊副隊長は、もしかしたらこの光を求めて彼女を手元に呼び寄せたのかもしれない。そんな埒の明かぬことを考えてしまったのは、まるで似ても似つかぬ男のあの眩い光と同じ質の光を、きっと彼女に重ね見てしまったからだ。
Fin.