朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

 やがて目を覚ました知盛は、かくないきさつなど当然ながら知る由もなく、死神としての能力がほぼ根こそぎ喪われたという現実に抗う姿勢をみせなかった。そうかと頷き、だろうなと薄く嗤い、ならば仕方あるまいと受け入れたらしい。
 その異能は稀有なるものであるため、可能ならば取り戻してほしいのが本音であり、そのためにきっと織姫は協力を惜しまないだろうと。卯ノ花は隠すことなく明かしたそうだが、知盛は無駄だと応じたという。
 自分の能力は、あの斬魄刀の能力の副産物として発揮されていたもの。“揚羽”は、かつて自分が誼を結んだ水神の力の擬態。眠りを包む水底の気配に再会できるまで、この身を包んでくれていた果てなき海に、取り込んだ毒を溶かすことで適った異能。
 かの神が本来力を貸すべき相手は自分ではなく、自分が力を借り受けられる期限は、辿り着くその時まで。自身の力そのものではなかったのだから、たとえ鎖結と魄睡の傷が回復したところで、もう取り戻せるはずもない。束の間の夢が醒めたのだ。そう思って、諦めてもらう他に選択肢は存在しない。
 あれは契約だった。辿り着くまで、代わりに眠りを包むこと。それが、ヒトでありながらヒトであることを否定された自分への、神からの対価だと示された。そして、探し求めた水底の眠りに辿り着いた今、自分があの力を宿すことはもう適わないのだと。


「サヤが、すべての鍵だったんだな」
 日番谷が手にできた情報はさほど多いものでもない。それでも、知盛にまつわる事態を動かしていたのがあの娘の存在だったという推測に至るのは、そう難しいことではなかった。
「あんたはサヤを探していて、サヤはあんたを探していた。けれどすれ違うばっかりのあんた達を、あの斬魄刀が守っていたってとこか?」
「外れてはおらんが、いささかずれているといったところか」
「あんたが抱えていた問題は解決したんだろ? 無理強いはしねぇけど、あらましぐらいは知る権利があると思うんだが?」
「……まあ、あえて隠し立てるほどのことでもないが」
 ゆったりと紡がれる声は、知っているそれらよりもほんの少しだけやわらかいと日番谷は思う。
 元よりわかりにくい男であるため、あからさまに態度に出るわけではないのだが、隠しきれないほどに彼の中で重みのある変化だったのだろう。日番谷の目には常に消えることのなかった張り詰めた空気が完全に払拭されたと映ったのだが、そうでない者にはまた違う印象を与えたらしい。
 四番隊の女性隊員の間で人気が急上昇中なのだと。耳に入った実に呑気で現金な噂を、出所が十番隊副隊長であるという事実ゆえに日番谷は確かな情報として脳裏に叩き込んでいる。


 じっと、期待と好奇心と、それからずっと事情を隠されていたことへの不満だろうか。何とも複雑な表情で視線を注いでくる日番谷を振り返り、知盛は唇を綻ばせた。
「そのように不満げな表情をなさらずとも、すべて明かすさ。あまり、急くな」
「……あんた、目を覚ましてからなんか余裕が増したよな」
「そうか?」
「俺、これまであんたのこんなにやわらかい声、聞いたことがねぇ」
「そう、か?」
 余裕が増したのはまあ、自覚もあるためはぐらかすように笑ってやれたが、その根拠には自覚がないため純粋な疑問の声となってしまった。うっかり小首を傾げて「あまり、意識はしておらんが」と呟けば、その仕草もそうだと畳みかけられる。
「なんだか、いろいろ全開だぞ」
「俺にとっては、待ちわびていたひとつの区切りゆえな……気も、緩む」
「緩み過ぎだろ」
 呆れたように切り返し、日番谷はふと真顔になった。
「これから、どうするつもりだ?」
「どうする、とは?」
「だから、仕事とかだよ。……もう、死神としては働けねぇんだろ?」
 苦々しげに絞り出された声には、溢れんばかりの気遣いが詰め込まれていた。
「まあ、除籍は免れないか」
 斬魄刀は力を失い、鬼道を扱うにも霊力が不十分。今はリハビリと経過観察を兼ねて、人手の足りない綜合救護詰所の業務を手伝うという形でまだ四番隊に所属しているが、もはや知盛に、死神としての能力はろくに残されていない。


 もっとも、死神を目指した理由は、あの娘をより探しやすい環境に身を置くためだったのだ。手が届いた以上、別に死神として在ることに固執するつもりはない。
「なんとでもするさ。探せば、それなりに働き口ぐらいはあるだろうしな」
 かつてに比べればなんたる凋落ぶりかと嘆く思いなど存在しない。生きるためには糧が必要で、糧を得るには労働力を対価とせねばならない。その理の有様が変わったなら、従うまでのこと。
 目的が周囲と大いにずれた所にあったとはいえ、この数十年で雑務を中心とした労働にも嫌というほど慣れた。次の職を探すという発想も自然に出てくるようになったし、何とかなるだろうと鷹揚に構えられるほどには、知盛は己が多才であることをわかっている。
 そして日番谷もまた、知盛の有能さを知っている。気楽すぎると苦言を呈す必要がない程度にはどうやら先のことを考えているらしいことを知り、少し悩んでから、本日の訪問の目的のうちのもうひとつを口にすることにしたのだが。
「だったら、これはまだ、俺が個人で考えていることなんだが――」
さーんっ!!」
 ゆっくりと紡いでいた言葉は、渡り廊下の向こうから放たれた別人の大声でふつりと断ち切られた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。