とこしえにも似たるもの
もう、知盛が死神として最前線に立つ日は訪れない。それは揺るぎようのない事実であり、たとえ卯ノ花の力をもっても覆しようのない現実だった。致命的に損傷したわけではないが、鎖結と魄睡への傷は知盛に死神として元通りの霊力を供給できるほどには回復していない。
サヤが抱きとめた時点では確かに黒かった死覇装が、四番隊隊士が駆け付け、処置を施すうちに色を失ってしまったのだ。それは、知盛が死神としての能力をほぼ喪ったということ。
あるいは織姫の力をもってすれば回復するのかもしれなかった。もちろん、織姫の力に頼ることはひとつの選択肢であった。だが、問答無用でその力を行使するのはどうかと、知盛の上官たる卯ノ花が止めたのだ。
――それは、今、どうしても掴まなくてはならない選択でしょうか?
問いは重く、深かった。死神の中には知らぬものも多いが、四番隊で卯ノ花が言わんとすることを理解できない者はない。
――織姫さんの承諾を得られれば、私は命じられます。ですが、私はご本人の意思を、尊重したいと思うのです。
四番隊隊長としてはぜひとも元の能力を取り戻してほしい。だが、それを強要することを躊躇わないわけにはいかない。
この数週間というもの、知盛が斬魄刀の能力を最大限に引き出せないことにより、これまで引き受けた毒に冒されて苦しんでいる姿に、卯ノ花をはじめとした四番隊の面々は間近に接していたのだ。
確かにその能力は稀有であり貴重であり、万能薬にも等しいとして誰もが頼りにするものであった。しかし、それが彼の人知れぬ自己犠牲によって成り立っていたということに、皮肉にも今回の一件で当然のように頼みにしていた面々こそが気づいてしまったのだ。
鎖結と魄睡の損傷を織姫の能力をもって回帰させずとも、知盛の命に別状はない。今回の混乱においても通常の任務においても、死神としての能力を失い、けれど命を永らえている死神は少なからず存在する。その彼らに対して等しく齎されるわけではない織姫の能力を、暗黙の了解のようにして彼に差し伸べよと判じるのはなぜか。
織姫の能力を知り、彼らと知盛の間に面識があることも知っていてそう言い出したのだろう四番隊隊員達に、卯ノ花は冷厳と問いかけた。それは、救護を使命とする隊に所属しているがゆえの選択か。それとも、彼や彼女という異能を知ってしまったがゆえの堕落なのかと。
井上織姫という選択肢が存在しなかったかつての尸魂界において同じ事態が引き起こされたなら誰もが潔く諦めることができただろう彼の自己犠牲を、どうして無理に繋ぐことができようか。
まして、知盛が纏う死覇装を白く染めるのと前後するようにして、彼の斬魄刀は彼ではない存在によって呼び起された。その因果さえ定かでないまま、ただ稀有なる異能を失いたくないという欲望に駆られるのは、あまりにも早計に過ぎる。
諭す言葉に恥じ入ったように視線を俯けたのは、なにも彼女の率いる隊の面々ばかりではない。隊主として、救護を行う死神達の長として。冷厳で公正な言葉を別の隊員から手当てを受けながら聞いていた日番谷もまた、静かに瞑目せざるをえなかった。
知盛は、日番谷にとっては単なる四番隊の見知った隊士、という存在ではない。十番隊隊長としては、その異能を自隊の隊員を救うのに役立ててもらったことのある貴重な死神であり、日番谷個人としては、大切な友人でもある。そういった思いがつい彼に対して織姫の力を、という発想を導いていたのだが、隊主羽織を纏う身であればこそ、慎まねばならない論理展開だったと思い知らされたのだ。
稀有な能力は齎される相手が限られ、その対象の選別には怜悧で厳密な打算こそが働くべきである。
知盛の能力は、常に被害者の席次やら討伐対象の虚の齎す被害の甚大さを鑑みた上で適用される相手が決められていた。そこに、当人の思惑は微塵も介在していない。引き受けねばならない毒の強度も、性質も、相手に対してどのような心象を抱いているかも。
彼は尸魂界という組織の中で駒として動かされることに、一度として文句を言ったことがなかった。だが、それは彼が尸魂界という仕組みの中に身を組み込んでいることを理解していればこそ。
織姫は、そうではない。彼女は死神ではない。彼女は彼女の厚意でもって日番谷達にその力を貸してくれてはいるが、彼女に対して日番谷達は命じる権利を持っていない。知盛は日番谷達の命令に従う義務があったが、織姫には日番谷達の要請を断る権利があるのだ。
因果がわからなければ、ただ知盛の異能を失いたくないという一心でのみ織姫の能力に縋るという選択を軽々しく持ち出すわけにはいかない。それは四番隊の存在意義を根幹から揺るがすことにも繋がる。向上心を削ぎ、慢心を招き、堕落への足がかりになりかねない。
織姫に真っ先に頼るばかりというのなら、四番隊は何のために存在するのか。
知盛の異能に頼ることが前提となるのなら、四番隊の存在意義は何なのか。
変則的な選択肢を常態としてはならない。特異はあくまで通常とはかけ離れた位置に存在するのであり、自分達は日常をこそ盤石たるものにしなくてはならない。ゆえ、この場で織姫の異能に頼り、知盛の異能を繋ぐ可能性ばかりを重んじることは許されない。自分達の力で及ぶ限りのことを行い、その結果、この数十年という月日の中で頼り続けていた異能が損なわれるのなら、それまでのこと。
それこそが自分達の限界だったと受け入れねばならないのだと。
Fin.