とこしえにも似たるもの
すべてを見届けてほしいと、あの人は嘯いた。
巻き込んですまないと、あの人は呟いた。
お前は帰れ。お前の生きる世界へと。生きられる世界へと。
なあ、帰れるのだろう。渡れるのだろう。ならば往け、そして生きろ。
俺はお前を巻き込んだ。だが、お前に終わりを押し付けるつもりはない。
だから生きろ。死を厭うのなら、生を望め。望んでいい。お前は俺と違って、望む義務があり、叶える権利がある。
納得がいかないというのなら、すべてを見届けてくれ。それこそをお前の“終わり”としよう。
体の芯から沸き出すのは、見知らぬ記憶。見果てぬ夢。優しく切なく紡がれた声を、もう知らないと言えるはずもない。
そうして二人で終わらせて、次にもまたまみえようと。
届きそうで届かない記憶の残像の中で、薄い唇が美しく弧を描く。その曲線が、今にも虚に追いつかれそうなくせに満足げに笑っている彼の唇の円弧と、重なる。
理由などいらない。支離滅裂で大いに結構。痛いほどに握り締めていたためどこか痺れる指先を空に伸ばし、もつれる足で地を蹴った。
「あ、おいっ!?」
「危険だぞ、動くな!!」
呼び止める声は、拘束力など持ちはしない。
いつだって自分は大義ではなく彼のために戦場を駆けた。歪んでいることも知っていた。わがままであることもわかっていた。それでも、自分があの優しい人々を守りたいと純粋に願う気持ちには、いつでも彼の影がよぎった。この人達は、彼が守りたいと願う存在。そう思えばこそ、自分の願いがより強まるのを知っていた。
だから、見知らぬ誰かを守ることも、見知らぬ誰かに義務感だけで守られることをただ甘受することも、理屈は理解できても共感はできない。
あなた方は、あなた方の理屈ゆえに守るべき存在を守ればいい。もちろん、背後には彼が守ろうとした何かがあるのだから、それを守るために自分の力もまた一助になればとは思う。だが、今はそれよりも優先すべき事項がある。
彼が守りたいものよりも、彼のことをこそ守りたかった。
あの人は世界の定義。あの人を自分の預かり知らないところで失うことは、世界に拒絶されるにも等しい絶望。そう定義したのが、単なる独りよがりではなかったことを知っている。
そう、そうとも自分は自らの意思で己を“サヤ”と決めたのだ。
刃は鞘がなくとも意義を失わないが、鞘は刃があってはじめて意義を持つ。ゆえにようやく自分は“鞘”に戻れる。意味を伴って、纏うこの名を音に託せる。
脆弱な標的が現れたとばかりに攻撃の矛先を切り替えてきた虚になど見向くつもりは微塵もない。どこかで誰かが退けと叫んでいる。背後に遠ざかった死神達が、安堵と歓喜の声を上げているのをどこか遠くで認識している。けれど、サヤの意識は人影を通り越して降ってくる、ひと振りの小太刀にこそ向けられている。
地を蹴り、指を伸ばし。右手で柄を握りこみながら、左腕で彼のことを引き寄せた。地に落ちるのを抱きとめるには体格が違いすぎるため、どちらかというと彼の落下に巻き込まれた形になったのだが、別に気にはならなかった。
「隊長! 私が間に入って断空を――」
「間に合わねぇよ! このまま突っ込むぞ!!」
誰かが助太刀に来てくれたのかもしれない。落下中に意識を失ったらしい彼に押し倒されながら空を仰ぐ体制になったサヤの視界には、迫りくる敵影と死神達の駆ける残像。現状を冷静に分析する思考を頭の片隅に追いやり、柄を握る指に力を篭める。
「お前が蝶門の名を冠すというのなら、わたしの声を聞きなさい」
斬魄刀の由来だとか、定義だとか、そんなものは関係ない。ただ知っている。この小太刀が、愛しく誇らしきあの紋の名を戴いているということを。ならば自分にも揮えるはずだという、傲慢ささえ降した絶対的な確信を抱いている己を。
「――醒めろ、揚羽」
切っ先を天に向け、紡ぐのはただ一言。
その音によって解き放たれた懐かしき蒼焔の気配に、サヤは夜闇色の双眸をそっと和ませる。
決して大きくはない声が、聞き知った斬魄刀の名を呼んだ。耳慣れない解号を添えて。
「なに、これ……?」
言葉が宙に溶けると同時に、日番谷達の足元から天へと駆け抜けたのは蒼き焔。茫然と呟く乱菊の声は、当然のものだろう困惑に揺れている。なぜなら、轟音を伴って日番谷達を包み込んだというのに、焔は一切の熱を感じさせることなく、虚と刀獣のみを選んでそのあぎとを開くのだ。
見覚えのある光景だと、ぼんやり思い返すのは遠からぬ現世での一夜。そして視線を転じた蒼焔の根元では、先ほど確かに小太刀の柄を握っていたはずの、無手の指先がそっと宙を撫ぜる。
「泥濘の眠りを打ち砕き、果てぬ夢さえ焼き尽くせ」
誘うような声に促されて、敵影の動きを奪っていたらしい蒼焔が、断末魔さえ許さずにすべてを灰燼へと還していく。
Fin.