朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

 展開させていた水塊が集束し、手の内で元の小太刀に戻っていくのを感じていた。完全に砕かれたわけではないが、鎖結と魄睡を傷つけられたのは深すぎる痛手だ。ただでさえ制御が不安定だった斬魄刀を自分の思い通りに操るには、自力で生み出せる霊力が不足している。
 共に刃を振るっていた面々には、自分達が向き合う敵以外にかまけるゆとりなどありはしない。無論、助けてほしいとは微塵も思わない。戦場に立つ以上、誰もが等しくコマなのだ。その目的達成に必要なことをなす。その上でゆとりがある者だけが、味方を助けるという傲慢な願いに手を伸ばせるのだから。
 あらゆる光景が上空に逃げゆく中、視界の隅に映った勤務先でもある建物を見て、知盛はわずかに眉根を寄せた。綜合救護詰所には、守りを必要とする者ばかりがいるというのに。
 先般の叛乱において知盛がとった行動を踏まえ、今回の騒ぎの中で防御に長けた死神を警護に配備したという判断までは良かったのだろうが、入院者への影響への配慮と折からの人員不足に拍車がかけられたこともあり、あまり強大な力を持つ人選を行えなかったのは失策だろう。
 こんなことならば、自分は壁に徹して、その向こうに戦闘部隊の連中をもってくるべきだったか、と。つい反射的に戦略を反芻している己を仄かに嗤い、もう遠くないだろう地面との激突を覚悟して知盛はままならない体で受け身をとる準備をする。


「誰か動けるかッ!?」
「配備に穴が開きます!」
「吊星は……ああ、くそッ! 霊力が足りない」
「結界を急げ! “揚羽”の始解の能力が消えるぞ!!」
 応急手当と非戦闘員をとどめるのに使われていた一帯は、彼がついに戦線離脱を余儀なくされたことによって一層の喧騒に浮足立つ。広範にわたって敵を攻撃する姿があまりにも圧倒的だった彼の斬魄刀の真の役割は、どうやら背後にそびえる建物とその周辺をやわらに覆う盾としての側面だったらしい。
 力なく降ってくる体を助けに行きたいのは山々だが、空いている手はなく、鬼道を放てるゆとりもない。むしろ、その離脱によって解除されてしまった盾の代わりにと、慌てて結界を張る準備に入るのさえおそらくは霊力が十全とは言えないだろうに。


 人員不足こそはもっとも厭うべき要素だ。士気が足りない部隊も困るが、そも、物理的に人数が足りないこと以上に厄介な問題はない。どれほど士気が高くとも、手が足りなければ策を十分に練ることもできない。よって、将としてまずなすべきは己が配下となる人員の確保。次いで基礎的な戦闘力の向上と、士気を保つためのあらゆる措置。
 たとえばそれは報奨であってもいい。共に夢を見せるということでもいい。憧れやら畏怖の念やらを植え付けられれば、さらに上々。
 場に集う死神達の士気に問題はないようだったが、状況に対して必要とされている能力の総合値との間には確かな乖離があった。個々の能力を鑑みた上で人員を割かなかったのか、それほどのゆとりがなかったのか。サヤには知る由もないのだが。
 いずれにせよ、推測はもはや不動の事実であり、もうじき訪れて過去になる。
 彼を助けるために動ける死神はいない。彼が地に落ちたのち、そこに駆けつけることができるだけの人手のゆとりはなく、状況がそれを許さない。


 ならば捨て置くというのか。彼を、そのまま。
 仲間意識など持っていないのだろうに、さんざん自分達に苦汁を舐めさせてくれた小憎い死神が力なく落ちていくのを、虚も、刀獣もみすみす見逃したりはしない。それぞれがそれぞれに、いっそ愉しげに牙を剥いて追おうとしているのは明白で、その状況を逆手に、彼の存在を、大多数を守るための囮にして犠牲として死神達が切り捨てようとしているのもまた、明白なのに。
 見覚えのない光景が、現実に重なってゆらりと揺れる。
 淡い輝きを放つ蒼穹。穏やかな春の日差し。透明に青く蒼く輝く海原。
 怒号に満たされていたはずの世界は音を失い、ただ、静かに水面に向かって倒れていく白銀だけに意識が割かれる。
 その身に纏う紅と金を主軸にした鎧が眩しくて、ほんの少しだけ双眸を細めた。まるでその瞬間を狙ったかのように、どこかに反射する光が視界を白く染めて、無音の世界に水音がむなしく響いた。
 遠く、優しく、宥めるように。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。