とこしえにも似たるもの
青く突き抜けるような空を背景に、ありうべからず海に立つ遠い横顔はただ静謐。この諍いの帰趨はもちろん、傷を負うことも、命を落とすかもしれないという可能性も。すべてを等しく水底に沈めて、彼は哀しげに睫の陰を頬に落としていた。
知っている。
音にならない声で呟いて、サヤは両手の指をぐっと握り締めた。
知っている。知っていた。
誰よりも間近に、身近で、哀しみと愁いを見つめていた。及ばないことに歯噛みして、せめてと願って手を伸ばしていた。眠りを、日常の有り様を。遠く諦めてしまった平穏の定義をあずけられていると、察していた。諦めたくなくて、けれど夢を見るにはあまりに聡明過ぎたがゆえの不幸を知っていた。
無知でいられることの幸運を、はじめて思い知ったのは霞よりもなお掴みどころのない記憶の彼方のいつかの現実。
舞うように腕を宙に泳がせ、彼は無言でその背にあらゆる可能性を負う。
投げ捨ててもいいのに。そんなに無茶をしなくてもいいのに。
なのに、彼は誰に認められることも労われることも称えられることも求めはせず、ただ背負う。力があると知り、その力が盾に矛になることを知り、その力による守りを必要とされたなら、迷いなく。まるで、それこそが存在意義だとでも体現するかのように。
一斉に牙を剥いた理由などわからないが、なすべきことはわかる。襲ってくる刀獣を捌ききること。やがて駆け付けてくれるだろうしかるべき役者に、舞台を渡すこと。
それが、彼らに課された勝利の条件。
戦いの火蓋が切って落とされてよりこちら、そこここで飛び交う情報と自身の知りうる情報をつき合わせて整理することで、サヤは自身の置かれた状況を静かに傍観していた。
完全に倒す必要はない。凌ぎさえすればそれでいい。だが、知盛がその状況にさえ苦労しているのはサヤの目にも明白。
彼は、彼の力を自由にできずにいる。きっとそれは、彼もまたこの混乱に巻き込まれた当事者だということを意味している。
――何をしているのだろう。
自分は、こんな所で。
何もできない。何の力もない。背に立つことも、駆けつけることも、何も。
身が竦むあの氷のような殺気を探して、燃え立つ闘気に鼓舞されて。
巻き込まれたわけではない。選び、覚悟し、身を投じた。奈落のような狂気のるつぼを、恐怖と、確かな誇りを刃の切っ先に籠めて駆け抜けていたあの日々のなんと遠いことだろう。
由縁の知れない後悔と不安に身を焦がされながら、サヤはひたすらに上空を見つめる。
望むならば担当を変えられるが、と。実は、二度目の診療の際、サヤは受付でそう問われていた。あまりにも唐突な申し出に状況を呑みこめずにいれば、受付に座っていた女性死神も、困惑を殺しきれない様子で説明を続ける。
申し出は知盛からであったらしい。先日の診療ではどうにも怯えているようだったから、打診しておいてほしいと告げられたのだそうだ。自分も驚かせるような真似をしたし、別に担当を変えたところで問題はない症状である。安心して身を任せられるということは、治療行為にとって最低限の必要条件。それが危ぶまれるのなら、別の担当者に変更した方がいい、と。
言い分に心当たりはあったが、その前日の日番谷とのやり取りで、サヤは知盛に対する言いようのない違和感はもう払拭されただろうと高をくくっていた。ゆえ、変更は必要ないと告げたし、それからは上手に取り繕って相対できていたと思っている。
内心の動揺がずっと変わらなかったことには、気づかれていないと信じている。
なぜ彼があんな瞳で自分を見るのか。その根拠は、日番谷から聞いた説明にはまったく見えないものだったし、ちらほらと耳にする噂話からも、よくわからないものだった。
けれど、根拠がわからないことへの恐怖を覚えながらも、惹かれる気持ちは殺しきれなかった。絶望のさらに底へと突き落とされた瞳に滲む確かな慈愛と安堵に、その正体を知りたいと願ってしまった。
危ういとわかっているのに。触れれば無傷ではすまないと察しているのに。
指を伸ばすのを止める気にはなれず、こうしてずるずると治療という大義名分に助けられて足を運び続けていたのが因果の行きつく先。
一度意識してしまえば、いやでも視線を奪われるとわかっていた。自分がどれだけ惹きつけられていても、彼にとって自分は何かの身代わりか、あるいは影なのかもしれない。その可能性を悲しいと思い、だったら早く視界から追い出せばいいとわかっている。
なのに、今もなお、はかなくも悲しくもどこまでも荘厳に舞いあげられる彼の演武に、意識を根こそぎ奪われている。
Fin.