朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

 どうにも落ち着かない様子で死神達が走り回っているのは見えていたが、そこに警報まで重なってしまっては、もはや他人事とは思えなかった。すっかり通い慣れた綜合救護詰所への道を辿るのは、今日で五回目。五回目にして初めてその道を小走りに進み、初めて目にする厳戒態勢に、踏み入っていいものかと足を止めてしまう。
「そこの人! 危ないから、早くこっちに!」
 だが、足を止めることこそが間違いだったようだ。戻るべきか、しかしこの騒ぎの中で下手に動いては邪魔になるか。そんなことを考えて動くに動けなくなってしまったサヤを見つけた誰かが、大声で呼びかけてくれる。
「こっちに来てください! 外にいると、巻き込まれますよ!!」
 音源は、目指していた建物の二階の窓。窓枠から大きく身を乗り出して叫んでくれている青年を視界に入れるのと、その屋根の向こうの空から零れ落ちてくる異形が目に入るのは、同時。
 背筋が凍る気配の次に感じたのは、薬のにおいに紛れた、甘く仄かな香りだった。


「あ、気がつきました?」
 大丈夫ですか、と。のほほんと笑いながらサヤを覗き込んでいたのは、先ほど綜合救護詰所の二階から手を振ってくれた青年だった。
「すみません。もう少し早く、気が付ければよかったんですけど」
「いえ。声をかけていただいて、助かりました」
 ちらと視界に映ったあの異形が何であるかは知らないが、恐らく虚というものなのだろう。思い返して再び背筋を震わせた感覚に軽く自らの体を抱きしめ、ふるりと身震いをしてサヤは青年に向き直る。
「助けていただいたんですよね?」
「それ、僕じゃなくてさんなんですよ。ほら、あそこの、一番高い所にいる」
 意識を手放した自覚はなかったが、ふと気づけば違う場所にいたということは、そういうことだろう。介抱してくれていたからにはと思って問いかければ、青年は困ったように首を振って上空を指差す。
「もうちょっと早く呼んであげられれば、中に入れたんですけど、出る分には自由でも入れることはできないそうなので」
 言って次に振り返られた先をつられて見やれば、建物の壁と自分達との間に、半透明の壁のようなものが存在している。
「とりあえず、ここから動かなければ大丈夫です。みんなが守ってくれますから、安心してください」
 そして最後に視線が向けられた先には、いつの間に数を増やしたのか、少なからぬ異形と対峙する死神達の背中が見える。


 見覚えのある死神もいれば、見知らぬ死神もいた。ちなみに初対面の青年は、名を山田花太郎と名乗ってくれた。ちょうど間も悪く刀獣と虚が溢れだしたところに踏み込んでしまったため、臨戦態勢真っ只中の状態に巻き込まれているのだと説明し、やはり困ったように笑う。
「これで大虚とかに出てこられたら最悪でしたけど、このぐらいなら、多分余波もないと思います。ただ、死神じゃないと霊圧のうねりが辛いかもしれないので、ちょっと覚悟しておいてくださいね」
「ここにいて、わたしは足手纏いではありませんか?」
「ここじゃない場所に出られちゃう方が、多分戦いにくいと思うので」
 戦う術のない自分を知っていればこそ、迷惑だけはかけられないと思って問いかけてみたのだが、どうやら何をしても迷惑にしかならないらしい。確かに、一触即発の中で自分のような存在がうろうろと動きまわれば、目障りにしかならないだろう。
 間抜けな質問をしてしまったと俯き、サヤは「動かないでくださいね」と念を押してどうやら自分の役回りを果たすべく移動しようとしている花太郎に、せめてもの詫びも込めて「はい」と真摯に頷く。
 大人しくしていよう。そして何かあった時、彼らの邪魔にならないために、いつでも指示通りに動けるようにしておけばいい。戦闘場面に巻き込まれたことよりも、力ない自分に歯噛みする思いの方が強いという内心に僅かに戸惑いながら、サヤは意を決して最前線たる上空を振り仰ぐ。その中に立つ、一番よく知っている死神の背中を。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。