とこしえにも似たるもの
あまりに泰然とした相手の様子に呑まれていたため、どうやら息を詰めていたらしい。先まで部屋の奥に立っていた男の気配が完全に診療室に去ったのを察知して、黒崎一護は思い切り肺から息を吐き出した。
「怖っえぇ」
「そうか? ヤツの席次は大したことないぜ?」
「そーじゃねぇよ。席次とかじゃなくて、威厳? 威圧感? そういうのを感じたって話だ」
あくまでけろりと言い放った隣の斑目一角に慌てて言い返し、一護はガシガシと頭をかく。
「まあでも、アイツの言うことはわかるけどな」
俺も病院の息子だし。そう呟きながら、一護は診療室から出てきてテキパキと処置を施していく男をぼんやりと見やる。
「てか、知り合いか?」
「いや? 噂は聞いたことがあったが、見るのは初めてだな」
「噂? 有名人なのか?」
「四番隊でオレらに啖呵を切れる隊員は、卯ノ花隊長を除いたら、ヤツだけだ」
だが、彼の席次と一角の席次に随分と隔たりがあるため、実際にこうして顔をあわせることはなかったのだという。一通りの模擬試合が終わり、負傷者が食事ついでに四番隊に行くというのに付き合うと言い出した真意は、どうやらその噂の相手を一目見てみたいという思惑にあったらしい。
さすがに一人でこの人数は手に余るだろうと思いきや、何と、彼は最低限の処置をするだけで、包帯を巻くだの湿布を貼るだのといった作業はすべて患者に丸投げをしていた。四番隊といえば花太郎か卯ノ花のイメージしかなかった一護としては、それは非常に衝撃的な光景である。だが、当人達はいたって慣れた調子で役割分担をこなしている。
「斑目三席も、手当てを?」
「いらねぇよ。こっちを診てやってくれ」
あっという間に一護たちの目の前までやってきた男は、ちらと一角を一瞥して確認口調の問いを発したきり、返された言葉に従って一護へと向き直る。
「失礼」
短く言って伸ばされた指が、おもむろに一護の左肩をぐっと押さえつける。なにげない仕草に見えたくせに、そこには信じがたいほどの重みがある。思わず眉を顰めた一護に、男は「動かれないよう」と低く呟いてわずかに視線を伏せる。
「上腕の筋に負荷がかかりすぎている。修練を積むのは結構だが、まだ体が出来上がっていないことをもう少し考慮していただきたい」
言いながら指がゆるりと腕を辿り下り、手首を掴む。その感触に、一護は慇懃無礼さを感じさせる口調よりもよほど、ぞっとする。
「手首にも、過負荷……一日にこなす量を見直し、どなたかに基礎を叩き込んでいただかれよ」
「……アンタ、本当に四番隊なのか?」
「隊章が竜胆以外に見えると申されるなら、目の治療も承るが」
思わず抱いた疑問を口にしていた一護に、治療の一環なのだろう。触れた場所からゆるゆると、どこかひんやりとした霊気を流し込んでいた男は、あっさりと嫌味を返してくる。
「そうじゃなくて、この手。相当剣を握ってんじゃねぇの?」
「……御身は、ここがいかな場所であるかをお忘れのご様子だ」
はぐらかすなと、その意図を篭めて空いている右手で相手の手首を掴み返したというのに、男は動じた様子もない。低く低く、どこまでも一護を侮蔑しきった笑声をこぼし、そしてあっさりと腕を引き抜いて腰を上げる。
「握ったところで、揮えぬ力では意味がない。……それとも、それは俺を蔑むための言葉か?」
「え? あ、いや、」
「悪ぃな。コイツ、物知らずなんだよ」
思わぬ切り返しについしどろもどろになる一護の言葉を遮るように、それまで黙っていた一角がゆるりと口を開く。
「何も知らねぇんだ」
やけに含みを持たせた言葉に、男は読めない瞳をちらと見せたきり、すっと腰を折って頭を下げる。
「………いえ。斑目三席の御前にて、お見苦しい真似を失礼いたしました。先ほど申し上げました内容は、お心にお留めいただけますよう」
「まあ、覚えていたらな」
「では、失礼いたします」
登場の瞬間と同じく、退場もまたごくごく静かに、男は道具の残りを手早くまとめて奥の廊下へとその背中を溶かし込んでいく。何がどう相手の逆鱗に触れたのかはわからないものの、とにかく自分が失言をしたらしいことを悟って思わずうなだれる一護に、一角は「行くぞ」と促して自分たち以外はもう誰も残っていない綜合救護詰所の待合室を後にした。
Fin.