朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

 先日の一件のせいでやたらと入院患者が多く、そのため一人ひとりの仕事も常より多くなっているが、この程度ならば何か大きな被害の出る討伐作戦があった後を少しばかり大袈裟にしたのと変わりない。問題は、それに端を発した十一番隊の連中の修練が激化したことであり、それによってこの綜合救護詰所にやってくるむさくるしくやかましい連中が増えたことぐらいで。
「あ、あの、さん……」
「……来たか」
「はい。あの、申し訳ないんですけど」
「わかっている」
 空き時間を利用して書類を片付けていた男は、おずおずとかけられた同僚の女の声にゆるりと顔を上げ、ちょうど切りの良かったところで筆を持ち上げる。告げられずとも気配とざわめきとで招いた覚えのない客人の来訪は察していたのだが、呼ばれるまでは腰を上げないのが彼の流儀である。
 溜め息を隠す必要もない同僚の手前、遠慮なく不機嫌な空気を撒き散らしながら書き物を片付けようとすれば、さすがにこの連日の来訪に何か思うところがあったのだろう。気弱な声がさらに申し訳なさそうに「代わります」と告げた。
「あの、私たちではあちらは手に余るので、それは代わりにやっておきます」
 申し出には、周囲からも同意が添えられた。そう言われて断る理由はないし、頼めないほど自分にしかわからないような仕事もない。そういうとき、この中途半端な地位は非常に便利なものだと男はつくづく思い知らされる。
「そうか。では、頼む」
「はい。じゃあ、あちらをお願いします」
「わかっている」
 さっと残されている書類に目をやってから腰を上げた男は、短く言い置いてゆらりと足を踏み出す。荒くれ者ぞろいの十一番隊の隊士を相手に一歩もひけをとらずに渡り合える四番隊員はろくにいない。彼のこの四番隊における陰の二つ名は、対十一番隊専用汎用人型兵器である。


 外来専用の診療を待つ待合室は、近づかずともその喧騒が酷く耳についた。うんざりと溜め息をつき、通りがかる他の四番隊隊士に縋るような視線を向けられながら、男はまず診療室ではなくその音源に足を踏み入れる。
「やかましい」
 特に声を張るわけでもないその一言に、不満そうな顔がいくつも振り返り、次々に文句が衝きつけられる。
「あ? 四番隊の癖に、何一人前の口聞いてんだ?」
「散々おれたちを待たせて、開口一番は申し訳ありませんでした、だろォ?」
 こうして口を開くのは、見覚えのない連中ばかりである。多少顔を見覚えた連中は、慌てた様子で周囲を止めているが、それでは間に合わない。ああ、まったくもって面倒だと、そう思いながらけれど男が次に取る行動はいつだって決まりきっている。
「へぶっ!?」
「うおっふ!」
 慣れた調子で受け付けに座っていた女性死神が受け付け小窓を閉めるのを横目に、手の内に持っていた即効性の痺れ薬を問答無用で口さがない文句を叩いた連中の口に放り込む。物理的に投げるだけならば無理な軌道でさえ、多少霊圧を調整して相手の姿勢を変えてしまえば可能になるのだから問題はない。
 それぞれに情けない声をあげて床に蹲った連中は一瞥もせず、溜め息を隠さずに男はしんと静まり返った待合室をぐるりと見回す。
「ここでは騒ぐな。それが守れないなら来るな。……身動きの取れなくなったお前たちに毒を塗るのは、いともたやすきことなのだぞ?」
 言ってにったりと口の端を持ち上げ、小さく視線を足元に投げれば一人だけ悶絶の様子の違う十一番隊員が、なんとも虚ろな表情で「えへへ」と笑っている。ざっと血の気の引く音がこだまする待合室に、男はそのまま淡々と声をかける。
「診療具を持ってくる。それまで大人しくしていろ」
 言って腰を折り、足元でどうやら別世界に意識を飛ばしているらしい男の襟首を掴んで持ち上げた彼は「適当に腰を下ろしていろ」と告げると、さっさと診療室に向かって踵を返してしまった。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。