朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

 一方、結局この日も届けられた昼食を夕刻すぎに平らげた日番谷は、どうにも落ち着かない内心を殺すことを早々に諦め、四番隊隊舎へと足を踏み入れていた。
「職場には寝食持ち込まない主義だったんじゃねぇのか?」
「十五席程度の席次では、上官があまりにも多すぎる」
 霊圧を辿った先は、綜合救護詰所と執務関連の部屋が集中している棟を繋ぐ渡り廊下。欄干にもたれかかる右手には、質素ながらも趣味の良い湯飲みが握られている。
「もしかして、もう当直か?」
「似たようなものだ。いつなりと駆けつけられるよう、こちらに詰めておけとのご命令で」
 嗤うように、諦めたように。低く殺された声が冷やかに告げ、ぼんやりと夜闇に投げられていた視線が、隣に並び立った日番谷にちらと流される。
「十二番隊の解析が追いつくまで、探査を続けるようにとも依頼されてな」
「……やっぱり、サヤのあれは追いかけるための目印だったのか」
「俺はあまり、探査が得意ではない。あれだけ刷り込んで、二日が限度だが」
 目を細めながら喉を鳴らし、知盛は湯飲みの中身をそっと舐める。


「いったい、何がどうなってるってんだ? あんたは、サヤの傷から何を読みとった?」
 知盛とは逆に壁を向いて欄干に座り込み、日番谷は視線を合わせないまま問いかけた。取り繕う言葉は見つからず、取り繕う必要性も見当たらない。
 主たる自分のことをひどく気にかけてくれる一面なのか、夕食を終えた頃、氷輪丸はふらりと隊舎から外へ出たようだった。彼も自分も、いざとなれば即座に互いの許に駆けつけられるし、単独でいたがために一撃で敗北を喫すような相手に瀞霊廷内で出くわす可能性は限りなく無に等しい。
 きっと、今夜の訪問先に、自分は随伴しない方がいいと察してくれたのだろう。たとえ魂を分かち合った片割れとはいえ、実態を伴って傍らにあっては、一対一の対峙という構図が崩されてしまう。気を使わせてしまったかと思い、わかってもらえてありがたいと思う。今の日番谷は、隊主だとか死神だというしがらみを取り払い、一個人として知盛に対峙したいと願ってこの場に立っているのだ。
「傷を隠して、気配まであからさま過ぎるほどに隠す必要性を、どこに感じた?」
「それは、十番隊隊長としての問いかけか?」
ッ!」
 冷笑交じりの声でいっそ悠然と切り返され、日番谷は声を殺すことも忘れて隣を振り返る。
「お静かになされよ……綜合救護詰所の外といえ、距離は近い。御身ほどの霊圧が激せば、患者の毒にしかならん」
 射殺さんばかりの勢いでねめつけても、知盛は平然と夜闇に向き合ったまま、声音を揺らすことさえしない。
「命じると申されるなら、この身に、断る権利は許されてなどいないが」
 紡がれる言葉は丁寧なものが選ばれているのに、越えられない何かの向こうから見下ろされているような威圧感がのしかかる。こんなにも追い詰められるほどに、サヤは一体この男に何をみせたのか。日番谷には、まるで想像もつかない。


 意識して深い呼吸を何度か繰り返し、呑まれそうになる圧倒的な存在感を振りまく相手に真っ向から対峙して、日番谷は言葉を選び出した。
「俺にとっては、あんたもサヤも、大切な友人だ」
 踏みこませてくれとは言わない。暴こうとも思わない。ただ、力になれる可能性があるなら、ほんの少しでも分けてほしいと願う。自分は彼らに少なからず救われていて、けれど彼らが何によって救われているのかがわからない。だから、せめて傷を負おうとしている姿が見えた時ぐらい、歩み寄りたい。
「黙っている方がいいなら、もう触れないからそう言ってくれ。明かしても構わないことがあるなら、分けてくれ」
 欄干から降りてしまえば、日番谷の視点から知盛の表情の仔細はわからなくなる。月明かりのような怜悧な存在感の輪郭を、闇と同化するほど曖昧に溶かしこむのが何を思ってのことなのか、わからない。
「俺はあんたの探している相手にはなれねぇ。けど、少しぐらい、力になれないか?」
 絶対唯一の救世主以外を切り捨てるような、そんな小さな世界に閉じこもってほしくはない。閉じこもる必要はない。求めればいいのだ。もっと、ずっと。
 彼が供した優しい自己犠牲に見合う対価が存在するかどうかはわからないが、自分が受け取った捻くれた優しさにぐらい、報いる権利はあるだろう。
 それさえも許さないというような器の小さな男ではないと。願う思いこそが知盛に対する夢想の押しつけなのだろうと薄っすら自嘲しながらも、日番谷は答えが返るのをじっと待つ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。