とこしえにも似たるもの
誰もが等しく心を抱え、抱えるからには感情に翻弄される。そんな事実を思い知らされるのは歯痒く、辛いことだ。
たとえば隊員達が己らの仰ぐ隊主に一種の絶対的な信仰にも似た感情を寄せるように、日番谷だってどこかによりどころを求めたくなる。
羽織を翻すからには、その背を追う隊員達には日番谷もまた一介の死神でしかないという現実をみせるわけにはいかない。彼らの夢想をいかに齟齬なく体現するかは、求められる責務の内。
身の裡に宿る力を知らなかった頃の安寧を夢見て、訪ねるのは流魂街の祖母の許。纏う衣が変わっても自分を見失わずにいてくれる凡庸さを求めて、語らうのは幼馴染。
そして、何があっても世界は揺るぎ無く続いていくのだと、ありもしない永遠を信じたくて見つめていたのが、あの男。
すべてを等しく受け入れ、呑みこみ、断ずることなく睥睨している姿は、たとえ世界の終わりが訪れたとしても変わらないような気がしていた。崩壊した世界さえ見下ろしながら、相変わらずの酷薄な笑みを唇に浮かべているのだろうと。
だというのに、知盛も感情に翻弄されるひとつの個性にすぎないと、日番谷は思い出してしまったのだ。
切なげに、愛しげに。きっとあの娘こそは彼が探し続けていた存在。誰に明かすこともなく、誰に隠すこともなく。誰に譲ることもできない自身の欲望であり渇仰なのだと全身で訴えながら、知盛が誰かを探していることは日番谷も知っていた。
ただ、その存在を探し続ける内心がどれほど深く底知れないものなのかを、知らなかったのだ。
今さらかもしれない。それでも成就を願いたかったし、できることなら手伝いたかった。それが許されないならせめて、自嘲に歪み、疲弊に沈む瞳が少しは安らぐ可能性を、そっと支えたい。
「あいにくと」
けれど、現実はそううまく転がってなどくれない。困ったように眉間に浅く皺を刻み、サヤはふるりと首を振る。
「記憶にありませんから、今日が初対面かと思います」
無論、その答えこそが想定のとおりなのだが、淡い期待が打ち砕かれたことへの失意は隠しきれなかった。小首を傾げて「申し訳ありません」と言葉を繋げられ、日番谷は自分が、自覚以上に彼女に夢を押しつけていたことを知る。
諦めろ。そう、告げられるものなら告げてしまいたかった。諦めて、別の存在を探せばいいではないか。
知盛は見目が良い。言葉足らずでひねくれていて表情もあまり動かないが、寡黙で聡明で自制心が強い。今は下位席官だが、出世する素養は存分にある。誰にも媚びない姿勢は時に反感を買うようだが、おおむね潔いとの評価を受けており、男女を問わず人気も高い。
縋りたいのだと、寄りかかりたいのだと。彼に乞われて断る存在など滅多にいないだろう。妥協さえすれば選り取り見取りだというのに、知盛はその一線だけはどうしても譲らない。むしろ触れられることを嫌がられてしまうから、素知らぬ振りをしていた意図的な無知の埋め合わせをしたくても、手出しのしようがないのが現状。
ゆえに、ようやく手が届くかもしれなかった知盛を慰めうる可能性に期待したのだが、当人に心当たりがないのでは、何がどう転ぶかもわからない。
一石を投じられるだろうという推測のみを頼りにするには、罪悪感が大きすぎる。
だって、これまで自分達は、誰もが彼に対して「彼さえいれば、毒を恐れる必要はない」という夢想を押しつけ過ぎた。責務でさえなかったのに押しつけられた役回りに文句のひとつを言うこともなく、理想的な夢を紡ぎ続けてくれた存在が大切に守っているのだろう唯一無二の夢を思いつきで穢す権利など、誰にあろうはずもない。
なんとも気まずそうな表情で見送りに立ってくれた日番谷の視線を背に、西一番街の自宅に戻ったサヤは、いつものように店の手伝いに明け暮れてその日一日を終えた。最近では何をどうしようと滲んでしまう傷口の血のため、最低限の手伝いしかできなかったのだが、さすがに鬼道による治療は格が違うらしい。
動きに違和はなく、長時間立ちまわっていても着物に血が染みることもない。さすがに、どうやら毒を受けたようです、といった話は義両親にはできなかったが、霊圧にあてられた傷なので、鬼道で治療してもらっていると説明したところ、ひどく安心した表情を向けられてしまった。
心配をさせてしまったのだと思えば胸が痛んだが、だからこそ、専門家と名高いらしいあの死神の青年に早々に診てもらえた己の幸運を思う。そして、垣間見た彼の絶望と、日番谷の渇仰を同時に。
薬を飲むような症状は感じないし、痛みも特に感じない。せっかく治療をしてもらったのだから、今こそ安静にすべきだと口を揃える優しい義父と義母に甘える形で早々に自室に引き上げて、就寝の支度をしながらサヤはそっと傷口を指で辿る。
彼らは、何を求めて自分を見つめ、何を探して自分を見透かしていたのだろうか。
知らず深々と溜め息を吐き出し、サヤは静かに瞑目した。
会ったことはないと思う。少なくとも、サヤが記憶する限り彼を店で見たことはないし、自分を見てああも過剰な反応を示してくれたのだ。彼の側としても、きっと今日が初対面だったのだろう。では、似たような相手にはどうか。治療を受けながらずっと辿っていた記憶の続きを手繰ってもすぐに終着点に辿り着いてしまい、サヤは静かに途方に暮れる。
「、知盛」
耳馴染みのある単語ではなく、なんだか不思議な違和感を覚える音だった。他人の名前に評価を降すとは何様かと仄暗く唇を歪め、そしてサヤは胸の奥底へと無理やり沈めこんでいた第一印象を、諦めて正面から見据える。
緊張感に背筋が強張ったのか。誰かに似ているから違和を覚えたのか。不可思議な言動に翻弄されたのか。自問に突き返される答えは、すべて否の一言のみ。
見覚えはない。名を聞いた覚えもなければ、どこかで見かけた覚えもない。けれど、サヤは確かにあの男の纏う空気に覚えがあった。
治療を施されている間中、背筋が強張っていたのは畏れ多かったからだ。彼は確かに、記憶のどこかに埋もれている誰かに似ている。だが、それはサヤが記憶の中で名と経歴を明快に言い切れる誰かではなく、霞の向こうの届かぬ誰か。持って回したような言い方ではあったが、自分を襲った何かにつけ狙われており、次に襲われてはもう手の施しようがないと忠告されたことを、過たず理解できていた。
Fin.