とこしえにも似たるもの
不可思議で不穏な忠告は気にかかったものの、サヤには十番隊に経由するという大切な用向きが残されていた。仮にも一隊の隊主である相手には失礼なのかもしれないが、どうにも日番谷のことが放っておけないのだ。
無茶も無理もしてほしくない。辛いならそう言えばいいと思うし、息を抜ける場所はあるのだろうかと心配になる。必死に、ひたむきに、不器用に、愚直に。何もかもを背負い込み、守ろうとする背中が眩しい。きっと守り抜くのだろうなという確信が切なくて、その目的のために彼が彼自身をコマとする瞬間など訪れなければいいと思っている。
そんな日が訪れては、きっと胸が張り裂けんほどに嘆き悲しみ、でもその姿こそが彼らしいとなき笑うことしかできない存在が生まれてしまうのだと確信して、恐れている。
治療が効いたのかどうかは評価のしようがないが、少なくともずっと途絶えることのなかった右肘の冷えが緩和されているような気はしていた。毒を受けたという判断を得てよりこちら、誰もがその名を口にする専門家に診てもらえたということ。その相手に完治を請け負ってもらえたということ。きっとこれらもまた安心感を加速させているのだろう。
病は気からとも言うが、何とも現金な体だと。サヤはほんのり苦笑を浮かべて、心得たように会釈を送ってきてくれた十番隊隊舎の門番達に、丁寧な一礼を返す。
綺麗に中身を平らげられた上、ぴかぴかに洗われた状態の昨日の器と引き換えに、サヤは今日の分の昼食をそっと机に滑らせた。
「はもう復帰してたのか?」
死神ではないサヤにとって、日番谷の日常業務がどういったスケジュールで成り立っているかなど知る由はない。しかし、だからといっていたずらに執務を邪魔するつもりなどさらさらないため、返された器を包んだらば早々に引き揚げようと思っていたのに、思わぬ言葉にぱちくりと睫毛を上下させた。
「おわかりになるのですか?」
「そりゃ、こんだけ丁寧に霊圧をまぶしてあればな」
よっぽど鈍感なヤツじゃなけりゃ、少なくとも誰かが鬼道をかけてるってことには気づけると思うぜ。さらりと言ってのけた日番谷は、中途半端に伸ばされたままだったサヤの手首に、そっと指を触れさせる。
「鏡門と曲光の応用だな。この傷、そんなに妙な代物だったのか?」
「わたしには、キョウモンとキョッコウの意味がわかりかねますが」
「どっちも鬼道の一種だ。あらかじめ傷のことを知らなければ、今のあんたは無傷の状態に見える」
「え?」
そんなこと、一言も言われなかった。日番谷の説明した内容にまるで心当たりがないサヤは、目をしばたかせることしかできない。
「おまけに霊圧をまぶしてあるから、気配で探すのも難しい。死神じゃないあんたの霊圧は、ただでさえ掴みにくいのに」
「そういうものなのですか?」
「こればっかりは、生まれ持ったもんだからな。良し悪しじゃなく、単なる事実だ」
なんでもないように言って姿勢を戻し、日番谷は核心の問いを投げかける。
「で、の見立ては?」
「少々厄介な状態ではあるが、完治は請け負おう、と」
「……完治を、保証したのか?」
いっそ呆然とした様子で聞き返されて、サヤは重ねて不思議な気分になる。
「もしや、珍しいことなのですか?」
あまりにもあっさりと告げられた言葉だったため、単に見立ての結果を伝えられているだけだと考えていたのに。
ひとしきり何かを思い悩む様子をみせてから、日番谷は表情を引き締めて「いいか」と背筋を正す。
「怪我でも病でもそうだが、絶対に治る保証ってのは、存在しねぇ」
それはまあ、その通りである。それこそ医療技術のプロ集団であればこそ、ほぼ確実に治るものから絶望的なものまで、確率を導き出すことはできるだろう。しかし、そこに全か無かという選択肢は基本的に存在しない。
「気遣いとか気休めとかで、その手の言葉をかけてくれる奴も多い。だけど、はそういう曖昧な保証は、それこそ絶対にしないんだ」
きっぱりと確信をもって言い切った日番谷は、だから驚いたのだと続ける。
「アンタ、もしかしてと面識あったんじゃねぇの?」
「お店で見かけたことはありませんよ」
「それ以外では?」
珍しいという言葉ではとてもではないが事足りない。あの、何もかもを超越して達観した気配を纏う男が、まさかこうも執着し、例外を並べたてる存在が間近にあったとは予想外にも程がある。
好奇心と罪悪感と、そして隠しきれない願いを抱えて、日番谷は眉尻を下げて記憶を辿っているらしいサヤをじっと見つめる。
そういえばあの日、あの不可思議な夜に、自分達は誰一人として知盛が腕の中からそっと尸魂界に送りだした娘を間近に見ることがなかった。だから、もしかしたらサヤがその彼女によく似ているのだろうかという夢想を、推測の域にさえ導くことができない。
特異な体質だからといって、毒を肩代わりすることに苦痛が伴わないわけがない。引き受けた毒が重ければ重いほどあの男が不機嫌になるのは有名な話だったが、飄々とした態度の裏で、必死に苦悶を殺していない保証などどこにある。さすがに通常勤務は無理だからと翌日ばかりは公休を取って、それで充分だったという証拠は、どこに。
振り返る必要などない。焦点を結ぶことを誰もが無意識のうちに避けていただけなのだ。ただ、見据える勇気を持てばいい。何も言わないのをいいことに、彼を人身御供とする現実さえ沈黙の底に葬っていた、残酷さを。
Fin.