朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

「斬魄刀は、ただ従順なだけの存在か?」
 からかうように、試すように。なめらかに言葉を紡ぐ知盛は、日番谷の返答など期待していない。
「斬魄刀が意思を持ち感情を宿すなら、主に対して不満を抱くこともあろう。その力を存分に引き出すことのできない、無能な主であれば、なお」
「……だから、そういう斬魄刀は戻っていないだろ?」
「ことを、単純に捉えていれば、な」
 引き絞られた瞳孔は、ゆるりと滑って氷輪丸へと向けられる。
「あるいは、成長を待つという選択もあろう。主を見限るのもまた一興」
 知盛に今回の氷輪丸との一件を詳細に語った覚えはなかったが、器の未成熟さゆえに力を万全に引き出せてやれないと嘆いたことはある。頭の良いこの男は、そういう細かな記憶を余すことなく憶えていて、要所要所で蒸し返してくるから性質が悪い。
「なれば、面従腹背という選択肢も、ありえる話とは思わないか?」
 そしてその聡明さが実に幅広い可能性を弾きだしてくれるから、頼もしくもあるのだ。


 ひたと目の奥を覗き込むようにして向けられた深紫の瞳に、息を呑み、大きく見開かれた翡翠の双眸が映り込んでいる。
「少なくとも、卯ノ花隊長はそう判じられた……それゆえ、俺にこれらの情報を読み解くよう命じられたのだろうよ」
 屈みこむことで視線の高さを合わせていた知盛が身を引いたのを確認し、日番谷は知らず詰めていた呼吸を取り戻す。
「斬魄刀の実際の効能を見知らずとも、記録と症状を照らし合わせれば、ある程度は目星をつけられるやもしれん」
「死神の霊力が狙いじゃない刀獣を、野放しにするのは危険すぎる」
「死神じゃなくとも、喰らえば霊力をそれなりに蓄えられよう」
 日番谷があえて言葉にしなかった理由をあっさりと舌に載せ、知盛は嘯く。
「悪食となることにうまみを覚えられては、もはや手の施しようがない」
 ゆえにその可能性に誰よりも近く、正確に踏み込めるだろう知盛が、束の間の休息しか許されないのだ。可能性を予測に変えるために、無謀な自己犠牲を強いられる確率があまりにも高いのだとしても。


 有を無に変換することはできない。たとえそう見えたとしても、その変遷には何かしらの中間産物が介在している。燃やすというなら灰燼が。朽ちるというならなれの果てが。
 よって、治療の一環とはいえ、対象者から毒を抜くからには治療者の身にその毒が降り積もるのは当然の帰結。不調になるのは致し方なく、復調を待たねばならないという巡りあわせを、別に不運だとは思わなかった。自分では、さほど被害を被っているという実感もない。噂の死神が復帰するまでのんびり通えばいいかと考えていたサヤだったのだが、思いがけない転機は即座に訪れた。
 昨日案内された順路を辿って向かった先の診察室には、昨日とは違う死神が立って入り口を凝視している。信じられないものを見るという表情で、手にしていたらしい資料を力なく床に撒き散らしながら。


 低く、掠れた声が何か音を紡ぐのは、唇の動きから見て取れた。だが、聞きとるにはあまりにも声が遠すぎる。
「あの?」
 ひらりと足元に舞い落ちてきた書類に視線を落とせば、それは作成されたばかりのカルテだった。名前、性別、身長体重。簡単な略歴まで付与されているのは、きっと紹介状に記されていたためだ。
 仮にもここは、瀞霊廷内で最高の医療機関。職務の関係上、中心となる患者層は当然のように死神達であるが、貴族達も御用達なのだ。身元のはっきりしない人間は受け入れてもらえないのだろうと、察するのはさほど難しくもなく、致し方のないことと納得するのにも苦労はない。
「柳ヶ瀬サヤと申します」
 屈みこみ、恐らくは現像が間にあわなかったのだろう、写真を貼りつける欄が空白のままのカルテを拾って差し出しながら、サヤはとりあえず名乗ってみた。


 昨日の今日で、復帰を待っていた毒治療専門家に診てもらえることになったという話は既に受付で聞いている。ならばこの死神の青年こそがその専門家なのだろう。早々に事態が進展しそうだと少なからぬ期待を持って訪れたというのに、これほどの驚愕で迎えられては、不安になるのも無理はないと主張したい。
 もしや自覚がないだけで、専門家から見れば今の自分は致命的な何かに侵されているのだろうか。この綜合救護詰所で手の施しようがないとの診断が下されれば、それは不治であることを宣告されるのと同義。嫌な予感ばかりが次々と胸に湧いてきて、サヤはなんだか泣き出したい気分に駆られてくる。
「……ヤナガセ、サヤ?」
 ようやく聞き取れた言葉は、物思いに沈んでいたサヤからすればいささか唐突な印象もあったが、先ほどの名乗りを確認するためのものだろう。カルテを受け取る指先が、震えているのは何故なのか。
「身元の確認は、昨日していただきました。こちらが、本日の診察票です」
 先に渡せば話が早かったのかもしれないと頭の片隅で後悔しながら、受付でもらった書類を差し出せば、今度は機械的な動作で受け取って目を走らせている。
 何がどうなっているのかもよくわからないが、先ほどの動揺が嘘のように凪いだ空気を纏う青年に戸惑うサヤは、どうやらたまたま席を外していたらしい白衣を纏った女性職員の登場によって、ようやく「お座りください」と空いていた椅子をすすめてもらえた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。