とこしえにも似たるもの
毒の治療で四番隊、と条件がそろえば反射的に導き出される名前だと思っていたのだが、もしやそれは対象が死神に限られた場合なのだろうか。
「四番隊の、毒治療の専門家だ。会わなかったか?」
「ああ、その方でしたら」
付け加えられた説明はわずかなものだったが、すぐさま諒解した様子でサヤは頷く。
「本日はご不調とのことでした。これまでも害はありませんでしたし、しばらく通って様子を見て、調子を戻された折りにでも診ていただくことになっています」
なるほど確かに、それは実に理に適った診断結果だろう。緊急性を要すのないなら、別に知盛が担当する必要はない。鬼道で対処できるならそれでいいのだろうし、何か薬が効くのかもしれない。だが、日番谷にとってサヤの説明は意外な情報であった。
「不調? 体調不良か?」
「そのようでしたよ。なんでも、これまでのぶり返しが来ているとか」
サヤは死神ではない。よって、恐らくは四番隊で告げられたか、あるいは小耳にはさんだのだろう状況をなんでもない様子で紡ぎ上げるが、多少なりとも事情を知る日番谷にとって、それは少なからぬ衝撃を齎す。
知盛の身に“これまでのぶり返し”が訪れるとすれば、どう考えても“これまでに引き受けてきた毒のぶり返し”に他なるまい。それは、あっさりと受け流せる情報ではないし、そう簡単に復調するような状況でもないだろうに。
「毒の類の見立てでは、その方のご意見をお聞きするのが何よりだそうです。なので、そもそもの治療と経過観察も兼ねて、殿に診ていただけるまで、しばらく通うことになりまして」
「……つまり、事のついでだから気にするなってか?」
「ええ。そういうことです」
そしてそのまま話題は元来のものに帰結した。そういえば自分はサヤの無防備な行動に苦言を呈していたのだったと、わずかな述懐の後にすぐさま帰りついた日番谷は、冷静さを装って会話に応じる。いたずらげに笑う彼女をもはやこれ以上咎めなかったのは、言っても無駄だと悟ったのがひとつ。筋の通った理由だったというのがひとつ。
それから、事情説明の一環として齎された情報に、少なからず思考回路を奪われてしまっていたためでもある。
容器は翌日まで預かっていてくれればいいと、そう言葉を添えて約束どおり昼食を置き土産に、サヤは早々に十番隊隊舎を後にした。凛と歩み去る背中にありとあらゆる好奇と憶測の視線が寄せられているのは知っていたが、日番谷にはそれらの邪推にかまけているゆとりなどなかった。
「松本、お前は知ってたか?」
「どちらも初耳です」
刀獣の被害が死神以外にも及んでいるということも、知盛が遭遇している事情も。
「どう見る?」
「の件は、斬魄刀絡みの事情だと思いますけど」
「問題は、サヤを襲ったっていう刀獣だな」
知盛の抱える異能について、日番谷は効果は知っていても由縁は知らない。だから、それが彼の持つ斬魄刀によって齎されているとすれば、と仮定した乱菊の意見にもっともだと賛同するし、日番谷自身もそう考える。だが、もう一方の問題は推察のための手がかりさえ心当たりが浮かばない。
「死神を襲ってるって情報は聞いてたが、また別のタイプのヤツがいるってことか?」
「四番隊に話を聞いてみましょうか?」
「そうだな」
腕を組んで考え込んでみるものの、とりあえずは乱菊の提案ぐらいしか打てる策が見当たらない。
「いや、四番隊はこれから行ってくる。それより、刀獣の仕業だってことになったら、警護の範囲を広げる必要がある。班編成の変更案、叩き台を頼めるか?」
「了解しました」
せっかく届けてもらった昼食だったが、箸をつけるのは夜になることだろう。急いでやるべきことを脳裏に列挙しながらソファから腰を上げ、日番谷は「給湯室にでもしまっといてくれ」と包みを乱菊に託し、急いた足取りで戸口へと向かう。
ここしばらくの訪問頻度ゆえにすっかり常勤の死神と顔馴染みになってしまった綜合救護詰所で、日番谷は勝手知ったるとばかりに目当ての人物の霊圧を辿る。体調不良というからには宿舎で休んでいるのかと思ったのだが、試しに探ってみれば詰所の中にいるではないか。
どうせ、サヤの件では診療にあたった死神に話を聞くつもりだった。ついでに、どこかで誰か、知盛の事情を知っていそうな隊員を問いただすことも考えたのだが、綜合救護詰所に本人がいるとなれば話は別である。
当人に事情を聞き出せたならば上々。それが無理だとしても、どの程度の病状なのかを知っておくことは、決して無駄なことではあるまい。
目的地は、知盛の席次にしては上等に過ぎる個室病棟。それでも重症患者の収容区画でないからには、踏み込んでも大丈夫だろう。辿り着いた病室の戸は開け放たれており、面会に特別な許可はいらないと判じられる。
しかし、状況の詳細がわからない以上、無遠慮に踏み入ることが躊躇われた。やはりどこかしらで誰かに話を聞いておくべきだったかと、今更のように自分が無意識に随分と焦っていたことを自覚してうっかり足を止めてしまったというのに、部屋の奥からはけだるげな声がのんびりと放たれる。
「十番隊隊長殿は、よもや暇を持て余しておいでか?」
「暇なわけあるか」
「では、よほど物好きなのだな」
情報収集よりも状況を自分の目で確かめることを優先させるほどには焦っていたとはいえ、霊圧を殺せないほど自失してもいない。だというのに、とっくに訪問相手には日番谷の存在がばれていたらしい。
ならばもはや、遠慮するのはかえって無礼にあたろう。入室の是非を問う言葉さえなく、ただ「邪魔するぞ」とだけ告げて病床を隠すように立てられている間仕切りを抜ければ、そこには想像し得なかった、しかしどこかしっくりくる光景が展開されている。
真白い衣を身に纏い、枕にもたれて身を起こしている姿は、常のごとくけだるげで掴みどころがない。だが、常とは決定的に様子が違う。
「どうしたってんだよ、いったい」
「どうもこうも……ご覧になってのとおりだな」
「現状じゃなくて、原因を聞いてるんだ」
最後に見かけたのは、確か十日ほど前のことだ。だというのに、その時よりも知盛はあからさまにやつれている。もともと色素が薄く、抜けるように白かった肌は病的な青白さへと変じており、何より瞳に力がない。硝子のようにがらんどうになった深紫の双眸は、恐ろしいほどに底が見えない。
「以前にも言ったと思うが?」
「……斬魄刀が元に戻らないことと、関係あるんだな?」
「正しく“元に“戻りつつあるがゆえの、帰結だろうよ」
声を発することにさえ多大な労力を費やしているのだろうか。疲れたように大きく息をついてから日番谷に向けていた首を正面に戻し、知盛はゆっくりと瞼を下ろす。
Fin.