朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

 もっとも、日番谷が口にした皮肉と嫌味に偽りはない。知盛が本来の目的である検診を終えて尸魂界に帰還する前から硬直気味だった状況は、技術開発局の定点観測データを裏付け証拠としてしばらく動かないものと判断され、日番谷先遣隊は尸魂界への一時帰還を命じられていた。
 代わって各隊から上級席官を選抜した別働隊が哨戒任務に派遣されているが、それにしても、呼び戻された理由の一端が深刻な人手不足にあることは情けないことこの上ない。指揮系統の最上層部からごっそりと優秀な人材が抜けたことは事実であり、その痛手が計り知れないのが現状にして現実。たとえ上位席官を交代要員に立ててでも、隊長格の長期不在を避けたいという切実な判断は、尸魂界の負った傷の深さと複雑さを暗に嗤っているようだった。
 だというのに、現世が落ち着いているのをいいことに尸魂界は大混乱の嵐である。前代未聞の斬魄刀の叛乱騒動により、ようやく機能を戻しつつあった瀞霊廷は再びの壊滅状態。隊長格の斬魄刀は無事にすべて持ち主の許に戻ったが、それ以下の死神の斬魄刀やら、持ち主を失った斬魄刀やらの実体化がいまだ解けず、厳戒態勢に変わりはない。今宵、こうして自分が高級料亭街をふらりと訪れたのは、そういった現実からの一種の逃避願望であることを日番谷は自覚している。
 束の間とはいえ、ここでは自分の纏う隊主羽織が色を失うというのがひとつ。自覚してなお逃げ込みたくなるほどに疲れていたというのがひとつ。
 傍らに座す己の斬魄刀を振り返れば嫌でも日常が眼前に突きつけられるのだが、彼は寡黙で、そして実によく主の機微を読んでくれる。


 一晩くらい、良いではないか。
 弱音を吐きたいこともある。立場を忘れて愚痴を言いたくもなる。そして、死神の事情をろくに知らない彼女にだからこそ吐き出せる、きわどい心情も存在する。日番谷はだって、そんなに薄情な性情ではないのだから。
「斬魄刀って、なんなんだろうな」
「これはまた、面白いことをおっしゃいますね。日番谷“隊長”?」
 さらりと切り返された言葉は、白痴と毒との紙一重。この場においては隊主羽織の存在を忘れる事が暗黙の了解ではあるが、日番谷がそれを身に纏うという事実は覆されない。だから時々、彼女はこうして実に意地の悪い言動で日番谷のことをからかってくる。
「それをあなたが問うて、いったいどなたが答えられると?」
「模範回答なら答えられる。そうじゃない場合のことだ」
「と、申しますと?」
「斬魄刀でありそうでないと名乗る奴に、会ったことがあってな」
 強制的に斬魄刀が実体化されて暴れ回っていた事実にばかり意識が向くため忘れられがちだが、今回の件では、その状態まで至らずとも、ただ斬魄刀の反応が鈍いという状態で中途半端に困っている隊士も大勢いた。あらかたの収拾がついた時点でそういった斬魄刀には十二番隊による洗脳解除処置が施されたはずなのだが、先日通りすがって言葉を交わした折には、少なくとも知盛の斬魄刀は元の状態に戻ったとはいえないようだった。
「おまけに、当人が“アレは自分の力ではないから”とかぬかすんだ」
 ならばまだ、知盛の斬魄刀は村正による洗脳の影響が解けていないのだろう。それでは困るだろうから十二番隊に自分を介して繋ぎを取るか、あるいは卯ノ花を通じて特例処置を施してもらえるよう口添えしてやろうかと申し出たのに、当の本人にはまるで気にした様子が見られないのだ。


 もともと自分が持つべき力ではないのを歪めて持っていたのだから、この騒動で解き放たれても不思議はない。ゆえに無理やり屈服させるつもりはなく、戻ってきたなら僥倖。去ったままならそれまで。
「――あるべきところへ戻るのなら、それこそが理の行き着く先」
 自身が氷輪丸を取り戻した後に目を覚ました病室へとやってきた四番隊隊士としての彼は、そう静かに唇を歪めていた。かつて耳にした、彼の体を操っていたらしい斬魄刀といい、当人の言い分といい。知盛とその斬魄刀の関係性が、日番谷にはさっぱり理解できない。
「ですが、斬魄刀とは、死神の魂から生じるもの。その精神世界に住まう、もう一人の己なのでしょう?」
「基本的にはな。だが、東仙の例もあるし」
 意識をしてなおわずかにひきつった名を紡ぐ声を知ってか知らずか、娘は「ああ」と小さく納得の声を上げる。
「確か、ご友人の斬魄刀を継がれたのでしたね」
「それでなお卍解に至っているぐらいだからな。自身の魂とは、限らないみてぇだ」
「だとすれば、それはとてつもなく尊いか、とてつもなくおぞましいかのどちらかでしょうね」
 吐息に絡んでぽつりと落ちた言葉は、不穏な響きなど微塵もないのに、ぞくりと日番谷の背筋を粟立たせる。


 いつの間にか丸まってしまっていた背筋ゆえに完全に振り仰ぐ形となった隣の娘は、夜闇を邪魔せぬ薄い燈明の影を受けて、ごくごく静かにたたずんでいる。まるで、夢のように。
「どうしてそう思う?」
「だって、斬魄刀が魂の側面であることは、事実なのでしょう?」
 その上で当人が降すというのなら、それは己の魂を受け入れ、呑みこみ、対等に向き合って高みを目指す姿。その上で他者を降すというのなら、相手の魂を踏み躙って屈服しているか、他者の魂を丸ごと飲み込むほどに己の魂を軽んじているか。
「あるいは、己の魂をその相手の魂に寄り添わせているということ。それこそ、齟齬など微塵もなく」
 冷厳とした声でぴりぴりと言葉を発したかと思いきや、ふとやわらげられた表情は幼子を愛でる母のごとき慈しみを溢れさせる。
「ベター・ハーフという言葉をご存知ですか?」
「いや」
 不意に問いかけられた言葉は日番谷には耳慣れないもので、どういう意味かと素直に問えば、くすぐったげにはにかまれる。
「ヒトの魂は、元が球体であったものを二つに裂かれて、男と女として生まれおちる、という思想です。ゆえにヒトは己の魂の対を求める性にあり、あるべき対のことを“ベター・ハーフ”と呼ぶそうですが」
「他人の斬魄刀を揮えるのは、その“ベター・ハーフ”の可能性があるって言いたいのか?」
「それなら辻褄が合いましょう?」
 元を辿れば己の魂なのですから。そう微笑む姿はあまりにも強気で、不遜で、なのに清々しくて。日番谷は己でも感心だか呆れだか判別のつかない吐息を、ほぉと長く吐き出してしまう。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。