朔夜のうさぎは夢を見る

とこしえにも似たるもの

 あまりにも自然体で戦場の只中に立つ姿は、その自然さこそが異常であった。夕方に見かけたあの背中と同じだ、と、そんなことをぼんやり考えながら、一護は日番谷の怒号を聞く。
「退け、! 巻き込むぞ!」
 始解をして、一気に掃討してしまうつもりなのだろう。日番谷の持つ氷輪丸は、その威力の高さと攻撃範囲の広さゆえ、細かな調整がやりづらいのだと聞いている。それぞれが日番谷の動きに意識を払っていつでもその攻撃の余波から逃げ出せるよう構える中で、けれど知盛はちらと視線を振り返らせただけで、薄く笑う。
「馬鹿なことを言うな。コレは、“私”の獲物だ」
 言いながら振りかざされた斬魄刀は、襲い掛かってきた巨大虚の手足を見返りもしないまま受け止め、逆にその巨体ごと弾き返す。吊り上げられた口の端に、酷薄な、妖艶な笑みが刻まれる。


 切っ先が真っ直ぐに標的に向けられ、まるで宥めるかのような、慈悲深ささえ感じさせる声が、静かに告げる。
「――まどろめ、揚羽」
 言葉が宙に溶けると同時に、知盛の手元から水が溢れ出し、四方八方へと広がっていく。先ほどの幻影を髣髴とさせる情景に身を竦める一護たちになど見向きもせずに、知盛はゆったりと、いつの間にか無手になった腕を天へと向ける。
「果て知らぬ夢の底へと、沈むがいい」
 誘うような声に促されて、どうやら虚たちの足の自由を奪っていたらしい水が、それぞれに伸び上がって対象を飲み込んでいく。包み、そして咆哮さえ飲み込みながら無残にも虚を砕いては昇華させていく。
 静謐ささえ感じさせる、それは一方的な殺戮の画だった。いや、正確には斬魄刀による虚の昇華なのだから、罪を雪いでいるのだろうが、あまりにも一方的な力の行使は、善悪の基準を突破して暴力と認識される。


 声を失って知盛の斬魄刀の能力に見入る一護たちの視界の中心で、対象を葬り終わった水が集い、徐々に一体の虚の足元へと収束していく。
「何をした、と。そう問うていたな?」
 ついに件の巨大虚以外をすべて消し去った水は、今にも飲み込みたくて仕方ないとばかりにゆらゆらと揺らめいて知盛の声を待っている。
「“私”は、お前が見せたそれを、夢と知っていた。なれば、醒めるのは自由。それだけのことだ」
『知っていたからと、醒められるものか! そんな、そんな馬鹿げたことは認めん!』
「醒めぬ夢は、末期の夢。死した身なれば、もう醒めぬ夢など見ようはずもないと。“コレ”は、哀しいほどに理解しているのだよ」
『我が、我が負けるなどと、そのようなこと――』
「なれば、その夢にとこしえにまどろめばいい」
 つまらなそうに巨大虚の嘆きを遮り、腕が静かに宙を凪ぐ。その軌道に導かれるようにして一線に奔った水の刃は苦悶の叫びさえあげさせずに対象を切り裂き、宙に伸べられていた知盛の手の内で、元の小太刀へと姿を戻した。


 唖然と目を見開いて知盛が実に美しい所作で斬魄刀を鞘に納めるのを見ていた一護は、風を切る音にようやく我に返り、そして日番谷が娘を抱きかかえた知盛に切っ先を向けているのをみる。
「どうしたんだよ!?」
「……ナニモノだ?」
 まるで予想のつかなかった行動に頓狂な声を上げるものの、日番谷の表情と声音は硬い。そして、取り巻くようにして立つ乱菊たちも、切っ先を持ち上げてこそいないものの、一様に張り詰めた気配で知盛を注視している。
「そう、警戒せずとも良いよ。“私”の用向きはすんだゆえ、すぐにも去るさ」
の、斬魄刀か?」
「その問いには、是であり否であると答えよう」
 くつくつと喉を鳴らし、知盛は腕の中の娘を愛おしむようにそっと見つめる。
「何をどこまで明かすかは、“私”の関知するところではない。ただ、いずこかの“私”に望まれたゆえ、コレらの帰趨を見届けにきただけだ」
 言ってにったりと笑い、片手を離して引き抜くのは一度は納刀したはずの斬魄刀。そして、誰が何を言うよりも早く、さっさと眠っている娘の額に柄を押し当ててしまう。
「今度こそ、辿れば辿り着くと、そう伝えておくれ」
 音もなく、静かに輪郭をぼかしながら現世から切り離されて魂葬されていく娘の髪をそっと撫でおろしながら、知盛は不満を口に出すことさえ憚られる圧倒的な神聖さに呑まれている面々を背に、ひどく静かに声を編んだ。
「もう、隔てるものはない。今度こそ、同じ世界で、同じ時間を、共に分かち合いながら在ることができる」
 遅くなりすぎたが、これが、我らからの寿ぎであると。
 完全に宙に消えた娘を見送り、振り返った表情は玲瓏。世俗とはあまりにもかけ離れた様に喉を鳴らして息を飲んだのは誰だったのか。そんな周囲の反応にさえどこまでも美しくくすりと笑声をこぼし、ごく唐突に知盛は瞼を落としてその場に崩れ落ちた。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。