とこしえにも似たるもの
破面の襲撃もない束の間の日常の中に珍客を招きいれた生活は、けれどどうにも面倒なことに、隣接地区から厄介な虚が紛れ込んできたとの連絡によって、あえなく四日で断ち切られた。追跡部隊がことごとくやられ、十三番隊から派遣されている空虚町周辺地区の担当者では荷が勝つため、ついでに警戒して、できれば倒して欲しいと。
どこであっても現場の意見を完全に無視したお役所仕事というものは変わらないのだなぁ、と。暢気な感想を抱きながら、肝心の標的が現れないまま、連絡を受けてからさらに四日が経過している。
そして、いつもどおり、低級の虚がうろつく以外は何事もなく過ぎる時間のためうっかりその要請を忘れかけたその日の夕刻。日直のため帰宅の遅くなった一護は、あろうことか買い物から帰る途中らしい妹の行く手に立ちはだかるおぞましい化生に遭遇したのだ。
そういえば、強大な虚の接近を受けて、周辺の低級虚の活動が活発化している、というようなことを日番谷が言っていた。その当人が片付けているのか、それとも一角あたりが憂さ晴らしを兼ねて片付けているのか、言われたところでまるで遭遇しないからうっかり失念していたが、出現頻度が上がっていることは知っていたというのに。
己の迂闊さに、反射的に舌打ちをこぼす時間さえも惜しまれる。住宅街の中の一本道。距離は三百メートルほど。義魂丸を飲まなくとも、隣を並走しているルキアが身体は何とかしてくれるだろう。
とにかく距離を詰めながら、今日はたまたま鞄に放り込んであった代行証を手探りで探す。その、手元にちらと視線を落としたほんの瞬くほどの時間の隙に、しかし予期せぬ先客が舞い降りる。
「え?」
遊子の背後に音もなく降り立ったのは、銀の影。
「……殿?」
意外に過ぎる取り合わせと同時に、虚に対抗しうる存在が間に合ったことへの安堵があいまって思わず足を止めた一護は、隣から聞こえてきたどこかいぶかしむような声に、自分が認識した相手が人違いではないことを確認する。
聞こえていないのか、聞く気がないのか。死神が現れてもなお怯む様子などみせず、むしろ餌が増えたとばかりに咆哮する虚に、遊子がびくりと肩を震わせる。虚にしろ死神にしろ、どうやら存在をぼんやりと感じることはできているらしい。その咆哮を微塵も気に留めた様子もなく遊子の肩をそっと抱き、知盛は宥めるように腕の中に閉じ込める。そして、いつの間に鞘を払ったのか、斬魄刀を握るもう片方の腕で、軽やかに一薙ぎ。
それは、実に見事な一閃だった。ただそれだけの動作で、影は眼前に迫った二体の虚を事も無げに葬ってしまう。
あまりに泰然とした態度は、彼が身を置いていた今の刹那が、戦闘行為に捧げられていたという現実を思わず疑わせるほどのものだった。ごく当たり前の様子で、あまりにも身に馴染んだ様子で、彼は非日常を日常だと体現してみせる。
「なんだよ、アイツ」
自分は決してそうはなれないだろうし、周囲を見てもそうは思えない。虚との戦闘は、決してあのような、日常の延長としか思えない態度で行なうものではない。だというのに、面子の中では最も非日常から遠いとみなしていた知盛こそが、非日常に最も馴染んでいることが嫌というほど感じられる。
知らず体側で握り締める拳が汗に濡れていることは、自覚があった。感じているのは恐怖、あるいは畏怖。だが、その対象が絞れない。
実力の底知れなさが恐ろしいのか。得体の知れなさが恐ろしいのか。非日常を日常とする、どこか破綻しているとしか思えない神経が恐ろしいのか。どれも是であり否であり、だからこそそれが恐ろしい。
よくわからないながらも、危難が去ったことは察したのだろう。探るように、うかがうように背後を振り仰ぎ、遊子は周囲から誰が見ていてもいぶかしまれない程度に潜めた声で「ありがとうございました」と笑いかけた。
その姿にようやく妹の無事を確信した一護は、はたと我に返って止まってしまっていた足を慌てて動かす。その様子が視界に入ったのだろう。今度こそはっきりと笑い、遊子はぱたぱたと軽やかに一護の許に駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん、ルキアちゃん、お帰りなさい」
「おう」
「ただいまですわ、遊子さん」
「せっかくだから、一緒に帰ろう?」
律儀に一護と、その後ろをついてきたルキアを家路に誘い、それから遊子はくるりと首を巡らせる。
「お兄ちゃん、あそこ、まだいるかな? さっき、何か嫌なモノから守ってくれたの」
「あー、いや、誰もいない」
くいくいと腕を引き、示された先は既に無人だった。恐らく、兄の手元に届いたのを見届けて、立ち去ってしまったのだろう。後で礼を言わないと、と考えながら、一護はしゅんと肩を落としてしまった妹の頭を撫でてやる。
「気にすんな。一応、見知った相手だからな。後でちゃんと礼を言っとく」
「本当? じゃあ、お夕飯のおかずをお供えしてもいいかな?」
「いや、お供えって……」
彼はお供えをされるような存在ではないと思う。たぶん。それでも自信はなかったため、どうなのかと思って斜め後ろのルキアを見やれば、小さく肩を竦めて「誤魔化せ」と声に出さずに指示を出される。
「普段どこにいるかは俺も知らねぇんだ。見かけたら礼を言っとくから、それで勘弁な」
「そうなの? じゃあ、ありがとうございました、って言っておいてね?」
「任せとけ」
とにもかくにも、今回は無事だったものの、この様子ではさっさと元凶を退治しないと気持ちが落ち着かないことこの上ない。妹と共に家路を辿りながら、一護はさてどうしたものかと内心で頭を抱える。
Fin.