とこしえにも似たるもの
趣味の良い小料理屋の座敷に上がり込み、運ばれる品に気休め程度に箸をつけただけで、知盛は早々に酒器へと得物を取り替える。
「珍しいな。イライラしてるのか?」
「……あの、橙色の小僧」
「ああ、黒崎一護だな。考えなしの失言をやらかしたって話は聞いてるが、あんたはそんなことにイラつく器じゃないだろ?」
「まあ、あれの言葉に苛立ったのも事実……では、あるが」
酒には一切手をつけず、知盛が無言で押しやった料理もぺろりと平らげながら、日番谷は面白そうに瞬く。
「何が癪に障ったんだ?」
「筋の疲れ方……だな。アレに戦い方を仕込んだ輩とは、相容れぬ、と。そう思っただけだ」
「筋の? それだけで動きがわかるのか?」
「体が出来上がっていれば、構わんのだが。成長過程にある器に、あれはいかにも負担をかける。……短期で一気に鍛え上げたのだろうな」
知盛は四番隊隊員で、下級席官の、しかも綜合救護詰所での内勤が主である。今回の騒動について、噂程度には知っていることがあるだろうが、一護の背景にいる前十二番隊隊長や元刑軍総括軍団長の関与は知らないはず。その上で見せ付けられる洞察力に小さく息を詰めながら、日番谷はそっと伏せられた視線の下で、その整った形の薄い唇がゆっくりと酷薄な笑みを刷くのを見る。
「ひずみがそろそろ現れる。あのような、使い捨てるような鍛え方……俺は、好かん」
底冷えのする侮蔑を隠しもせず、見知らぬ相手にはきと嫌悪をぶつけるくせに、酒を呷る仕草はどことなく優美な気配を醸し出す。知り合ってから三十年以上が経つが、やはりこの男は掴めない。同僚に対して思うのと似て非なる感慨を抱きながら、手元の小鉢を空にした日番谷は、どうやって本題を切り出そうかと考える。
沈黙が苦痛でない相手は心地良かったし、この男は日番谷の纏う羽織に微塵の感慨も示そうとしない。それもあってこの珍妙な、友情とも違う、けれど知人というにはあまりに近い関係を保っている。知盛は、日番谷にとって立場を気にせずに接することのできる貴重な相手だ。気分としては、流魂街に残してきた祖母の許を訪れるそれと似ている。
気さくに接しながらも結局は“十番隊隊長”というしがらみを完全に捨て去れない同僚や乱菊たち部下と違う、本当に不思議な相手。それだけが理由ではないが、日番谷は彼との関係をこじれさせるつもりはないし、彼の気持ちを下手に踏み躙るようなことはしたくない。そして。
「――本題に、入らないのか? 日番谷冬獅郎・十番隊隊長殿?」
思う。どこまでも、知盛は日番谷よりも大人なのだ。
ゆるりと持ち上げられた視線は、ただ穏やかに微笑んでいた。実年齢を数えた時、どちらが上になるかは知らない。ただ、相手の中に蓄積されているだろう重みと深みに自分がまだ届いていないことを、知る。
「……十番隊隊長として、ではなく、日番谷冬獅郎個人として、聞く。あの日、あんたは“何を”した?」
「何を、と。そう曖昧に問われても、わからんな」
「はぐらかすな。あれだけの霊圧の渦にあてられて、入院してた重症患者がろくに悪化してねぇなんざ、奇跡の一言で片付けるには都合がよすぎる」
「都合のよい、奇跡が起きたのだろう? 良いではないか……悪いことでは、あるまい」
違和感が発覚したのは、ごく最近になってから。言い出したのが誰だったかは知らない。ただ、動ける面子だけを集めての状況確認を兼ねた隊首会で話題になった。それがすべてであり、それが決定打。
大幅に戦力を欠いた護廷十三隊は、その補強要員を見逃しはしない。そして何より、違和感を追及せずに許容するには、今の瀞霊廷はあまりにも余裕がなさ過ぎるのだ。
「あんまりにもいろんな霊圧が錯綜していて、誰も気づけなかった。けどな、じっくり調べりゃわかる。各隊に保管されている斬魄刀の一覧を調べても、アレに合致する能力はなかった。つまり、」
公にされていない斬魄刀の能力が発揮された結果であるという推測に至るのは、当然の帰結なのだ。
手酌で酒を飲みながら、知盛はひどく気だるげに口を開く。
「なぜ、それで俺を疑う?」
「言わなくてもわかってんだろ? あの日、あの時、綜合救護詰所にいた死神は限られている。それをふるいにかければ、どう考えてもあんたが一番怪しい」
「俺が始解さえできぬことは、それなりに有名だと思うが?」
「擬態である可能性に、皮肉にも今回の件で俺たちは気づいたんだ」
言って日番谷は箸を置いて身を乗り出す。
「言ってくれ。あんたの言ったとおり、これは決して誰に責められることでもねぇ。むしろ、賞賛されるべきことだ。騒ぎにしたくないってんなら、ちゃんと配慮する。だから、言ってくれ。あんたに、反乱分子としての疑いなんか、かけたくないんだ」
必死の訴えを相変わらずの読めない視線で一撫でし、そして知盛は浅く息をつく。
「お前は、日番谷冬獅郎個人として問うているんだったな?」
「ああ」
「……では俺は、俺の知る日番谷冬獅郎を、信じることとするべきか」
吐息に絡めた言葉尻は、一気に喉奥に流し込まれた酒で再び知盛の内に戻されたようにも思えたが、一度放たれた言葉は違われない。隠し事の多い相手が決して偽りを述べないことを、日番谷は知っている。
Fin.