願いはあどけなく
それがどこまでを理解し、計算した上での行動だったかはわからない。だが、直観を含むだろうとはいえ、己の立ち位置を悟り、身を守るためにおもねる相手を見極め、無邪気さをも装ってみせるほどだ。同じく直観と理性とを混ぜ合わせた特有の感覚で、知盛の告げた言葉の意味を理解したのだろう。あの日、戦禍の只中で拾われてよりこちら、少なくともの見る限りでは視線に滲ませる程度で決してあからさまに浮かべられることのなかった怯えと惑いの表情が、みるみるうちに希の相貌を覆っていく。
「だって、何かあれば……殺されるものと」
「力もないのに牙を剥いたなら、殺されるのは同然」
ようやく吐き出された、どうやら子供がこれまで直観し、あるいは聞き知ったがゆえに言動すべての核に据えていたらしい恐怖をあっさりと肯定する。その上で「だから、いずれ牙を剥きたくなった時のためにと、鍛えてやっているだろう」と知盛は堂々と言い放つ。
「命を繋ぐと、そう言ったんだ。気紛れに捨てる程度の重みなら、拾わずに殺していた」
「では、ボクを生かしているのは、いずれ殺すためではないのですか?」
「お前、あの炎の只中にて、俺と何を言い交わしたかを忘れたのか?」
おずおずと差し向けられた問いに呆れで塗り固められた声を返し、知盛はそれこそ傲岸不遜な態度でわらった。
「俺の生き様から、己の生き様を探るのだろう? ――その変遷を見届ける愉悦を、俺は捨てるつもりなどないぞ」
ことここに至ってようやく知盛が希を炎の中から拾ってきたきっかけを垣間見て、は思わず頬を緩める。自分もどうせ同じ部類に含まれるのだろうが、年齢も性別も問わず、主はどうやらどこかに己の琴線に触れる“芯”のある人間を好ましく思うらしい。
が拾われたきっかけは希のものとはだいぶ違っているが、今の立ち位置が許されたのはが“こう在りたい”と願った道を譲らず主に示したからであり、それを貫くために必死になって『生きて』いるからであると察している。それは、邸の家人達然り、一門の中でも特に親しいと判じられる相手然り。こと後者に関してはわかりにくくも明らかな同族愛に紛れてしまいがちであるが、注意深く見ていればその態度の違いは意外に判別が可能である。たとえばこうして、あまりにも複雑でわかりにくい思惑と事情ごと希を預ける相手に、事前の説明さえろくにしないまま迷いなく選んだ相手のように。
「それで、私の許に、と」
「お前の許なれば、雑事を懸念する必要もあるまい?」
「ええ、無論。ましてこのように面と向かって信を向けられ、裏切るほど無能ではありたくございません」
知盛が提示した可能性と、恐らくはその奥に潜んでいるだろうさらなる思惑までも、どうせこのたおやかな笑みこそが印象的な智将は汲み取り、そして納得して同じ道を選び取るだけの判断に至ったのだろう。不敵に笑って預けられる厄介ごとを見事にまっとうしてみせようと宣言し、それからはにかみ顔になって、息を詰めている希へと視線を向ける。
ひたとこの新しい“父親”を見詰める希の内心で渦巻く思いのすべては、計り知れない。わかるには、にとっては生まれてこの方ずっと血の意味を叩き込まれて育つという感覚があまりにも遠すぎる。だが、同じ境遇にて育ち、今はその血をいかに体現するかを求められながら生きている重衡にとっては身近な感覚だったのだろう。穏やかに「希殿」と呼びかける声は、やわらかな慈愛に満ちている。
「戸惑われるお心は、お察し申し上げましょう。ですが、希殿がいかに振る舞われましょうとも、いかに思われましょうとも、由無く御身を害することはありえません。それは兄上にとって、将としても一門が嫡流としても沽券に関わり、それこそ、貫かれる生き様をこそ穢すことでありましょうゆえ」
向けられる心が疑わしいのなら、体面と当人の心の有り様をもって判じればいい。兄とはまた別の方向から外堀を埋めながら、重衡はいたずらっぽく笑う。
「兄上方が西国より戻られるまでの間、その安全はこの重衡がしかとお預かりいたします。私の言葉の裏をお疑いになられても、どうぞ、私の兄上に対する偽りのなさは信じていただけますよう」
おのおのから向けられるそれぞれの笑みを湛えた、それでいて決して虚飾などない真摯な視線の只中で、子供は思いがけない言葉を紡ぐ。
「………ボクは、“父上”の”息子”であっても、いいのですか?」
「お前、それこそ何を聞いていた」
その声はこれまでが耳にした希の声の中にはありえないほどの切実さと切なさに満たされていて、返される知盛の声はあまりにもやわらかな呆れに濡れていて。
「言っただろう? 俺は、お前の父の仇。――そして、お前の父になるのだと」
包み込むように、突き放すように。相反する言葉を同時に投げ返して、けれど知盛の腕は希から外されない。力強く抱き込まれる広い胸の中でくるりと器用に体を丸めた希は、小さくもはきと了承の言葉を紡いだようだった。だが、この幼さにしてと目を見張る虚勢はさすがにそこまで。そのまま漏れ聞こえてきた嗚咽に、抱き込む腕の持ち主の深紫の視線が優しく凪いで降り注ぐのを見られない子供を実に惜しいと思い、ようやくその胸の奥が解きほぐされたらしい子供に、これから改めて重ねなおす絆の尊さを思い。子供をあやしながら視線を落としている知盛を見遣ってから重衡と目を見合わせて、は本当にやわらかく微笑みあった。
Fin.
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