わかりにくい愛し方
一通り子供の世話を焼いてから、ようやく知盛は本題を切り出した。
「近く、西へ参るという話はしたな?」
まだまだ成長の初期段階にあるやわらかな体を腕の中に抱きこみながら紡がれた言葉には、よく似た、憂いに満ちたどことなく暗い声が「ええ」と低く返される。
「その折り、コレを伴う。ゆえ、コイツをお前に預けようと思ってな」
「希殿を?」
指示代名詞ばかりで示された対象は、そのつど巡らされる視線にて絞られる。つられて動く淡紫の視線がそのまま兄の腕の中の子供に固定され、今度はいささかの驚きを刷いた声が上がった。
「兄上のお邸にての留守居では、何ぞ不自由でもございますか?」
必要時には赴くが、と。そういう意図であろう。わざわざ預かるその理由が良くわからないと首を傾げながら、重衡は続ける。
「あるいは、預けられるにしても惟盛殿か宗盛兄上のお邸なれば、御歳の近い方もおいででしょうに」
「だが、安全とは言いがたかろう?」
理路整然とした指摘に対して突きつけられたのは、あまりにも物騒な智将の理屈だった。
当人たる子供が腕の中にいるというのにまるで気にした風もなく、知盛はわずかに目を見開いてから険しい表情になった弟をちらと横目で見流す。
「月天将殿を残すならともかく、此度はコレも邸を空ける……。なれば、いったい誰がコイツの身の安全を保障する?」
「兄上、そういったお話でしたらば、どうぞ希殿には――」
「構わん。良い機会だと、そう判じた」
さすがに話題の方向性が刺激的に過ぎると嗜める重衡の言葉をばっさりと切り捨て、硬い表情で俯いてしまっていた希をしっかと抱き込みながら知盛は思いがけない言葉を続けた。
「まださほどの時間も経っておらぬ。ゆえ、警戒は当然。……だが、その相手を見極めるのは、早いに越したことがない」
言いながらぽんぽんと頭を軽く撫でてやり、そのままぐいと力を入れることで頭を強制的に上向けさせる。
「まったく、妙に小賢しい……無邪気さを装うなぞ、お前はどこの狸だ?」
「……装ってなどいません」
「自覚がないというのなら、なおのこと性質が悪い」
困惑か、怯えか。いずれにせよ負の感情で歪められた表情に遠慮なく溜め息をぶつけ、手を離して再び子供の腹の前で組みなおす。
解放されると同時に先ほどまでよりも深く俯いてしまった小さなつむじは、いかにも痛ましい。だが、その痛ましさを荒療治とはいえ、根本から治してしまおうとしての言葉であることを、も重衡もわかっている。まったくもってわかりにくい慈愛の示し方だと、仄かな苦笑に濡れた視線がちらと絡まり、そして希へと向かう。
「お前は、今は俺の“息子”だ。相応の事由なくば、お前は俺の庇護下にある」
無理に懐いたふりなどせずとも構わん。子供らしさなぞ、俺は求めた覚えもない。別にお前に与えてもらわねばならないものなど、俺には何もない。
ぽんぽんと投げつけられるあまりにも突き放すような言葉にしょんぼりと子供の肩が落ちていく様子に胸の痛みを覚えながら、けれどもまた先の知盛の言葉には大いに同意する。まだかくも幼いのに、周囲から自分がどのように見えているかを計算しながら振る舞っていたのだと、だってその落胆は如実に語っていて。
「振る舞ってみせねばならぬと、そうお前が判じたのは誤りではない。お前の命を絶ってしまえ、との意見こそが、趨勢……。俺の在り方は、一門においては異端でしかない」
ふと声に混じった自嘲の色に、重衡はそっと眉を顰め、は視線を床に落とし、希は弾かれたように声の主を振り仰ぐ。
「ゆえ、俺と月天将殿の目が届かず、手が及ばぬのなら。俺の最も信の置ける相手にこそ、こうして託す用意がある」
そして深みを増した真摯な声と言葉とに、見上げていた双眸はまるで零れ落ちんばかりに見開かれ、そのままくしゃりと表情が歪む。
養育者としてはなんとも物騒に過ぎる側面が目立つが、こうして一片の偽りもなく対峙すればこそ、敵対勢力の直系の子供を我が子として育てるという荒業が通用するのだろうとは思う。警戒して当然。命を狙われて当然。味方など、数える必要もないほどに皆無。まったく隠すことなく現実を並べ立て、同時に守るための手立てをどのように用立てているのかという手の内さえも微塵も隠さない。裏を返せば、それは子供にとって今まさに対峙している相手こそは警戒対象にしなくて良いのだという証立て。
無論、家長や安芸を筆頭に、知盛邸の家人は決して子供を害したりはしないだろう。それこそが主の意思に背くことと、わからないような人間は知盛が決してその領域内に許さない。純粋な知盛の手の者はもちろん、恐らくは入り込んでいるだろういずこかの間者においても、この邸の絶対の判断基準が彼にあることを理解できていなければとっくに叩き出されているのだから、いまさらそのような心配はない。だが、それでは外に対する守りが足りないと、知盛はそれをはきと口にした。ゆえ、位階という意味でも平清盛の正妻の子息という意味でも、自分と同じほどの力を持ち、自分の意を正しく汲んでくれ、なおかつ自分が信頼し、それに応えてくれると知っている相手に託すのだと。
Fin.
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