朔夜のうさぎは夢を見る

なわすれそ

 口の中で噛み締めていた握り飯をゆっくりと飲み込み、空になった両手を懐紙で拭いながら、知盛は庭を見据えたまま呟く。
「たとえ何を纏おうとも、」
 血の縛りからは、逃れられぬ。お前は源氏の血脈だ。その現実は覆らない。それゆえの責務の重さ、世間の厳しさ、しがらみの多さは、この先増えるばかり。
 淡々と、言葉は淀みなく積み上げられる。なぜならそれは、動かしようのない事実だから。誰が、何を、どうしたくてどうあがこうとも、何ひとつ変えようのない、現実。
「それをすべて、わかっているのか?」
 いっそ非情なまでの問いかけに、希の答えもまた、淀みなかった。
「それでも、ボクは、あなた以外を“父上”とは呼べません」
 突き詰めてしまえば、ただそれだけのこと。たったこれだけの答えに辿り着くのに、いったいどれほど遠回りをして、どれほど周囲に迷惑をかけたのだろう。
「あなたに誇ってもらえるように、と。そう思えば、何でもできます。責務も、世間の厳しさも、しがらみも。乗り越えてみせます」
 だから、今度こそ間違えない。およそ一年と少し前、希は源氏へと赴くことを、何よりも正しい選択だと思った。けれど、心残りばかりが募る選択だった。一方の今は、どうだろう。未来への不安がないと言えば、嘘になる。それでも、それさえも乗り越えていけるという確信がある。


 言うだけ言って口を噤んだ希にようやく視線を流し、知盛は「そうか」とやわらかく呟いた。
「俺は、教えることは不得手だが」
 言ってから知盛もまた体ごと希に向きなおる。仄かに笑う声は、けれどどこまでも真摯に告げる。
「誰よりも傍近くにて、俺の生き様を見せることなら、惜しむまいよ」
 そして、ふと真顔に戻り、纏う気配に一切の緩みも許さずに、続ける。
「憶えおけ。今日この時より、もはやお前は引き返すことなど許されない。お前は、源希義殿が血脈にして、平知盛が嫡男。源氏の名に恥じぬよう、平氏の名を穢さぬよう、改めて、心して生きろ」
「はい」
「事態が落ち着いてより、元服の儀を執り行う。名づけの後見人には、畏れ多くも鎌倉殿が立っていただけるとのことだ」
 笑って高らかに宣され、希は頬を紅潮させて深く額づいた。
「ありがとうございます」
 視界が床で埋め尽くされているだろう希からは見ることなど当然できないが、こっそり見守っていた九郎らには見えた。誇らしそうに、嬉しそうに、弾む声での礼を受けた知盛こそが、心底ほっとしたように肩の力を抜き、微笑む横顔が。

Fin.

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