朔夜のうさぎは夢を見る

降り積もる

 愕然と目を見開き、無言ながらも雄弁に「なんで!?」と問いかけてくる碧の瞳に、九郎は苦々しく口を開いた。
「さしもの俺も、その案は最初に思いついて、知盛殿に問い合わせてみたのだがな。好き嫌いもなく、我がままのひとつもなく、素直にすくすくと育つばかりだったため何もわからんと、断られてしまった」
「でも、せめて育ててくれた人と話ができれば、少しぐらいヒントがあると思うんです」
「その育ての親が、知盛殿と殿なんだ」
 時と場所と人物をそれなりに入れ替えれば、さほど遠くない頃に見覚えも聞き覚えもありすぎるやりとりだった。同じようにあしらわれて、同じように食い下がって、同じようにばっさり切り捨てられた。あまりにあっさりとしたあしらい方に、言葉を失って呆然と相手を凝視する反応まで、ことごとく同じ。時々、九郎は己と望美がよく似ていると笑う仲間たちの言葉の正しさを、こうして我が身をもってしみじみ実感させられる。
「なんとか、何か手掛かりでもと思ったのだがな。これは源氏の、しかも嫡流筋の内情に深く関わること。あくまで平家の重鎮たるお二方が、あまり口出しをするのはいかがなものか、と」
 こうしてなぞりなおし、振り返ってみてほぞを噛むのはけれど望美にみせたりはしない。言われた際は、知盛の纏う泰然とした空気に呑まれた。その後はなんとなくそんなような気になっていたが、こうして時間をおいて再度なぞってみれば、違和感が際立つ。つまり、はぐらかされたのだと。


 突き詰めてしまえば、知盛の主張はただ一点に尽きる。つまり、お家騒動に巻き込むな、と。
「お立場がお立場だからな。下手に口出しをしては、過干渉になろうと」
 領分を守った関係性は、こと今の情勢において何よりも重視される。踏み込みすぎず、譲りすぎず。互いに力の均衡を保ってはじめて、このあまりに脆い平穏は維持される。
 まずは、各勢力のあらゆる層に、この平穏は保つことが可能なのだと浸透させねばならない。そうして互いが並び立つことを誰もが当たり前と思うようになってはじめて、勢力間の諍いはとりあえずの決着をみせたといえるのだ。
 互いが互いを潰しあおうといがみあっていた日々は遠くない。その感覚を払拭するための努力をふいにしかねないことはしたくないという主張は、あまりに優しすぎて反論などしようがない。
「知盛殿が危惧なさることも、わかる。あまり存在が公でないから騒ぎには至っていないが、希殿は、いわば人質であったのも同然。胡蝶殿はまだ、将として戦線に立たれていたという言い分が通るが、希殿は幼かった」
「洗脳したとか、無理強いしたとか、そういう噂が立つっていうんですか?」
 望美はそれこそ心底呆れかえったように言葉を紡ぐが、それが現実なのだ。
「これは、俺や兄上にも言えることだが。本来ならば即座に処断されてもおかしくなかった身でありながら、命を繋がれている。それだけでも、感謝すべきなのだがな」
 かつてどうあったか、過程がどうあったか、それを見つめられるのは渦中にあるもののみ。良くも悪くも、戦乱は過ぎ去った。その頃は当たり前だった残虐さも、その頃は愚昧に過ぎた情け深さも、すべては遠い過去のこと。その頃にいかに幼かったかなど、加味する必要もないこと。ただ、いま目の前にいる少年が、源氏の血脈でありながら源氏での在り方に染まれないという違和だけが責められる。


 無論、それは望美や九郎にも当てはまる。
 苦しげに唇を噛みしめるくせに、希は何も言わなかった。何も求めず、何も詰らず。
彼が何を思っているかなど、望美には計り知れない。九郎にも、景時にもだ。なぜなら彼らは源氏以外の何ものであったこともないから。葛藤など知らない。殲滅すべきだった相手への思慕など、知らない。
 だから、望美らには手立てがなかったのだ。
 思いを汲むことができないのに、どうして慰めることができるだろうか。理解することが。心を寄り添わせることが。
 かつての九郎らと同じように、平家への敵愾心を持っているならば話は早い。しかし、その推測を確信に持ち込むことができない。あの幼い少年が彼らへの憎しみを抱くには、彼の心はあまりにも満たされていたように思われてならないのだ。
 かつてならばわからなかったかも知れない。けれど、今の望美は知っている。相国入道は、新中納言は、蝶門の一族は。一度懐に招き入れた者に対して限りなく優しく、寛容なのだ。ゆえに生まれたのが還内府だった。月天将だった。ならばこの子供が邪険に扱われていたと勘ぐる理由は、根拠は、どこにあるだろう。

 ――どこにも、ないのだ。

 結局、二人は結論に至ることができなかった。日々の中で様子を見守り、ひたすらに構おうと試みてはあえなく玉砕を繰り返す。しかも、それを自覚している希が必死になって応じようとしているのだから、いっそう痛々しくてたまらない。
 ゆえに、そんな二人の許にふらりと現れた赤髪の旧友が、誰よりも頼もしい救世主に見えたのだ。

Fin.

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