優しき策略家
額を寄せ合い、床を睨んでうんうんと唸る姿はいたく真剣で、どことなく間抜けだった。当人達がこの上なく真剣であるという点がその矛盾に拍車をかけるのだが、それこそ当人達が気づくはずもない。なにせ、二人は源平の諍いがまだ終わりをみせなかった頃から、周囲の人間がこっそりと笑いあうほどによく似た者同士。鏡映しのように向き合っていたところで、矛盾に気づこうはずもない。
「どうします? やっぱり、ここは最終手段に出ちゃいます?」
「……まだ、お前には奥の手があるのか?」
正直なところ、九郎はもうお手上げだった。そもそも、兄夫妻から、あれこれと事情の説明を受けた時点で無理な予感はしていた。それでもと、九郎は九郎なりに努力を惜しまなかった。
鎌倉にあった頃には、訪れるたびに餅だの水菓子だのを差し入れてみたが、まるで手ごたえはない。反物の類は兄夫妻が存分に与えているし、宝物を与えるにしては幼い相手。歌を詠むには才がなく、楽を奏でるには腕がないことを自覚しており、花を贈るのも香を贈るのもなんだかずれているような気がする。
結局振り出しに戻ってあれこれと食物を差し入れてみていた、その最高峰に拒絶を突きつけられてしまえば、文字通り、万策尽きているのだ。
「奥の手というか、裏技というか」
「もはやこの際、手段は問わん。卑怯だろうがなんだろうが、成果を得られればそれでいい」
「………九郎さん、なんかズルイです」
「なんとでも言え」
いっそ清々しく、望美がいささか後ろめたそうにしている奥の手とやらを肯定した九郎に、突き刺さる視線はどこか侮蔑の色を孕む。けれど九郎はそれをも振り払う。なんとでも言えばいい。もう、本当に後がない。
せっかく平穏が訪れたというのに、何を好き好んでまだ幼げな子どもの痛ましい姿を見る必要がある。
九郎は、自分に子供などいないし、身近なところに幼子がいた経験もない。ありきたりな幼少期を過ごしたわけでもなければ、その幼少期に接していた相手もまたあらゆる意味で特異な環境に身を置いていた。それでもわかる。この子供は、もう限界だ。いい加減、本当にそろそろ救いだしてやらねば、きっと取り返しのつかないことになる。
けっして、けっして恵まれた幼少期ではなかった。それでも、友に、仲間に恵まれ、遠い地で本物の父のように慕う相手がいた。その己がどれほど幸運に恵まれていたのかを突きつけられる毎日は、はっきり言って、胸に痛すぎるのだ。
もっとも、思うところのすべてを口にしていては、きっと望美の心を重く沈めてしまうだろうことも十分に予測ができる。ゆえに九郎は詰る言葉をすげなく振り払って後はだんまりを決め込んでいたのだが、やはり、女の勘は男のそれよりも鋭いのか、はたまた九郎が鈍いだけか。しばしじっと視線を据えていた望美がふと穏やかな笑みをよぎらせ、それからいたずらげに笑う。
「せっかく専門家が近くにいるんだから、ヘルプを求めましょう!」
「へるぷ?」
「そうです」
にこにこと楽しげに笑う望美は、良案を思いついたという内心を隠しもしなければ、耳慣れない単語を復唱した九郎の戸惑いも華麗に受け流す。
「希くん、元々は平家にいたんですよね? だったら、少なくともさんに聞けば、どこのお邸でお世話になっていたかもわかるだろうし、何が好きかとか、どうすればいいかとか、アドバイスもらえると思うんですよ」
会話の端々に遠慮容赦なくカタカナを混ぜ込むのは、九郎が知る、異なる世界を出自とする面々の中でも望美と将臣に共通する悪癖だ。譲は丁寧に言葉を選んでから会話をするからあまり頻度は高くなく、表情をわずかにでも曇らせればすぐさま解説を入れてくれる。は、そもそもはその出自に気づきもしないほどに、少なくとも言葉遣いと所作は九郎の知る常識に馴染んでいる。時折り見受けられる突拍子もない価値観は、戦場に出るなどという非常識さに起因するものだろうと勝手に自己完結をしていたぐらいなのだ。いざ出自を知ったところで、普段は意識をすることもない。
ヒノエや弁慶は、順応性も高くあっという間に耳慣れない言葉をも使いこなしていたが、九郎はあいにく、自分がそこまで器用ではないことを自覚している。さすがに、何度となく耳にし続けた「オーケー」と「サンキュー」は覚えたが、その程度だ。先ほど出てきた「アドバイス」も、聞き覚えがあるような気がしないではないが、意味までは憶えていない。けれど、文脈から判断できないほど愚昧でもないと、一応の自負は持っている。
「その案は却下だ」
ゆえに、今度こそ話の先を呼んで、望美の思いつきが暴走する前にと釘をさすことに成功する。
Fin.
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