朔夜のうさぎは夢を見る

君の名は

「ねぇ、朔。やっぱりこう、もうちょっとわかりやすく歓迎した方がいいかな?」
「あなたの気持ちは素敵だけれど、あまり派手すぎるのもどうかと思うわ」
「秘密ってほどじゃないけど秘密気味、っていうのがなぁ」
 件の文から十日ほど経って、うろうろと落ち着きなく動き回る望美と、そんな望美を困ったようにはにかみながら見つめる朔の姿が、梶原邸の一室にて繰り広げられていた。
「それに、あまり仰々しく出迎えては、緊張を強いてしまうかもしれないわ」
「あ、それはダメ」
「でしょう?」
 だから、とりあえずはこのままで出迎えましょう。そうやんわりと微笑みかけられ、望美はようやくせわしなく動かしていた両手の指を、膝の上に揃える。見やった門の方角からは、まだ人の気配が届かない。
 過日、景時が朔と望美に依頼したのは、邸に一時的に客人を預かるにあたっての振る舞いについてだった。いわく、本来ならば九郎の住まう六条堀川にて迎えるべき相手なのだが、女手のある六条櫛毛小路の方が気安かろうと、例外が許されたらしい。


 客人は、名を源希という。先般の和議において敦盛と引き換える形で平家から返された、源氏の血筋を引く子供。望美がこの世界に降り立つよりも幾年か前の戦で父をはじめとする一族を亡くし、なんの縁か、平家で育てられていたと聞く。
 本来のあるべき場所へと帰されたものの、頼朝らと共に鎌倉に戻ってからどうにも体調がすぐれず、床に伏せりがち。はじめのうちは環境に慣れないためだろうと思われていたが、一年が経っても改善が見られない。もしや、そもそも鎌倉の水が合わないのかと、ちょうどよく京に滞在している九郎に白羽の矢が立てられた、というのが顛末。
「十一歳だっけ?」
「ええ。……不憫よね」
 いくらこの世界での成人扱いが望美の常識よりも随分早くから行われるとはいえ、元服していないならばさすがにまだ子供の領域。政治のしがらみに巻き込まれずに生きていくことも可能だったろうに、血の縛りとは何とも残酷なもの。揃ってふと遠くに飛ばされた視点には、育った時代の違いにとらわれない同情が宿る。
「せっかくだから、気分転換にもなるように、構ってもいいんだよね?」
 だが、後ろ向きな考えばかりに浸っていては、龍神の神子の務めなど果たせなかった。ひとつ大きく息を吸い込んで、望美は明るく、力強く己の対を振り返る。その果てしない前向きな強さは、あの地獄のようだった戦乱においても今も、まるで変わらないと、朔はなんだか切なくなる。
「九郎殿も、きっとそれを見越してこちらにお預けくださるのだと思うわ」
 彼女の明るさに助けられ、導かれてここまで辿り着いた。だから、もっと先まで導いてほしいのだと。そんな願いが胸の奥底で渦巻くのは、望美と共にあの日々を駆け抜けたすべての仲間に共通している、逃れようのない呪縛に似た悪癖だとの自覚は、確かに存在するのだ。


 その年頃の男の子は何を喜ぶだろうか。今は嵐山に住む譲に頼んで、蜂蜜プリンを作ってもらうのはどうだろうか。そんな他愛のない計画を練りながら待ちわびていた望美と朔の許に、そしてやってきたのは二人の想像以上に痛々しい、一人の幼い子供。
「梶原の一姫様と、源氏の神子様にございますね」
 伴ってきた九郎も、景時も、完璧な所作と口上にて織りなされる挨拶を横目に、苦々しさを殺しきることができていない。
「このたびは、お手を煩わせてしまうこと、大変申し訳なく思っております」
 握れば折れてしまいそうな腕も、抜けるような肌の白さも、子供らしいまろやかさに欠ける頬の輪郭も。すべて、彼らに駆け抜けてきた時間を思い起こさせる。平穏とは真逆の、嵐のようだった日々の犠牲者が、こんなところにも残されている。
「どうぞ、しばしの滞在をお許しいただけますよう、お願い申し上げます」
 ああ、泣くことを忘れた双眸だ、と。
 底の見えない悲しみと共に、望美はかつての戦乱の中でほんの一時を共に過ごした、源平両軍に名高い姫将軍の、どうしようもなく強がる姿を思い出す。この子供にとって、ここは、涙を容易に見せることの許されない場所なのだという感慨を添えて。


 世話を頼まれたからにはと張り切っていた望美の意気込みを真っ向から叩き潰すように、希は実におとなしく、よくできた子供だった。わがままのひとつも言わず、手持無沙汰な時間は「何か、書物などいただけますか」と申し出て、九郎の持ってきたいかにも小難しい漢書を黙々と読みふける。監視の目のあることを知っているだろうに、煩わしいとも言わず、どこに出かけたいとも言わない。食べ物も選り好みなどせず、ただ、決しておいしそうには箸をつけないだけ。
「どうしましょう。なんか、とんでもなく不健康なんですけど」
「そうだな、これは、俺も予想外だった」
 さすがに預かったからには気になるのか、執務の合間を縫ってちょくちょく梶原邸に姿を見せるようになった九郎と膝を突き合わせ、今宵も望美は作戦会議の真っ只中である。
「今日はどうだったんだ? 譲が来ていたんだろう?」
「そう! 久々の蜂蜜プリンだったんですよ」
「……食べたか?」
「………一応?」
 どことなく緊張感に欠ける言葉運びではあったが、二人はいたって真剣なのだ。そして至った結論に、がっくりと肩を落とす息は見事にあっている。
「食べるには食べてくれたんですけど、こう、違うんです! だって、材料とか作り方とか聞いてから、すっごい緊張しながら無理やり食べてたんですよ!?」
「確かに、贅沢なものだとは思うが」
「息抜きしてほしかったのに、あれじゃ意味ないです」
「そうだな」
 息巻くように身を乗り出して告げる望美の言い分はもっともであり、同時に九郎は希への同情も覚える。きっと望美としては、得体のしれないものを口にするのは、と気を利かせたつもりだったのだろう。だが、材料を聞いてしまえば、緊張がいや増すのも無理からぬ話。少なくとも、あの子どもは都落ちを経験し、食物の価値というものを嫌というほど実感しているはずなのだから。
「とりあえず、食い物については万策尽きたか」
 二人にとって、蜂蜜プリンは最後の砦であり、賭けでもあったのだ。
 九郎自身の経験からも、あれは他に類を見ない食べ物であり、ただでさえ緊張を強いられる環境において、食べろと強制するのは酷に過ぎると考えていた。だが、実際に口にしてみれば、それこそこれまでの人生で口にしたどんなものとも違う至上の食感。かつて、京に滞在していた頃の政子も大絶賛だったのだ。これ以上の感動をもたらせる食べ物が思いつかない以上、二人にとっては何よりの奥の手だったのだが。

Fin.

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