知っていること
それに助けられているという現実があればこそある程度は黙認の姿勢を貫いている知盛だったが、時折り苦言めいたものを呈していることを、希は知っている。が持ち帰る食料も情報も、すべては一門にとって有益なものであったし、同時にこうして身近な側面をみせることで人心が離れることを防ぐことは、これからの時勢を睨んだ上で非常に重要な政略だ。
だが、それに“平知盛”付きの女房が自ら取り組んでいるということに、渋い顔をする者がいないはずもない。その身を月天将と知るものは知るもので、複雑な表情をする。つまり、知盛やが個人としてどう思うかではなく、やはり政略としての匙加減に苦慮しているというのが現状であるようだった。
薬草を採れる時に採って、乾燥させて備蓄しておきたいのだと言って山に入ったをはじめとする知盛邸の女房に、これ見よがしに「野蛮なことだ」と嫌味を投げかけてきたのは、身なりのいい青年だった。自分もどこかしらで彼女の調合した薬草の世話になっているかもしれないのにと、思わず反駁しかけた希をそっと、しかし有無を言わせぬ力で己の背後に隠し、深々と頭を下げていた姿が悔しくて仕方ない。
今回に限らず、こうしてどこかしらでの外歩きに遭遇した一門の中でも位の高い面々は、あからさまに見せるか隠すかはともかくとして、その在り方に良い表情をしない。決して蔑まれるようなことをしているわけではないのに、極力人目につかないようにと頃合いを見計らい、衣を深く被って顔を隠し、けれど知盛の面前では何事もないように振舞う。
どうにもいたたまれない気持がついに殺しきれなくなり、久方ぶりに鍛錬に付き合ってくれた知盛の隣で息を整え、希はふつふつと湧き起こる激情を“父”にぶつけた。
無口で奔放で、人の話になどまるで耳を傾けていないような風情を漂わせる“父”は、これで意外によく小さな声まで拾っている。肯定もせず否定もせず、とりあえず一通り言いたいことを言わせるのがそのやり方なのだと知っているから、希は遠慮なく胸の内で燻ぶっていた思いをぶちまけて、そして最後にそっと願いを付け加える。
「どうして、胡蝶殿は一門のためにと思って頑張っているのに、わかってもらえないのでしょう」
「……誰もかれもに、すべてを理解してもらおうなどと……それは、虫の好すぎる話だ」
希が知盛に稽古をつけてもらう際には基本的にすぐ脇に控えているだったが、今日は席を外している。留守居を言いつけられて拗ねた様子をみせていた水島の戦い、その反動とでもいうのか、武勇の華々しさが半端なかったと郎党が口を揃えていた室山の戦いをはじめ、小競り合いと称すには規模の大きい戦役を経て、一門はついに西国における地位を揺るぎ無いものとして確立しなおした。
勢いに乗ったまま、先鋒として東に向かっていた還内府と重衡の率いる軍勢が、福原を奪還したとの報が届いたのはつい先日。それを受けて、こうして長門に残って背後を固めていた知盛をはじめとする面々もまた一気に福原へ移動するべく、達女房は荷作りに追われているのだ。
当人がいては口にしにくい思いがぽろりと零れ落ちた希のつむじを見下ろしながら、知盛は薄く息を吐く。
「俺は、アレの在り方が、決して厭わしくはない。それは、重衡や経正殿、教経殿も、同意してくださることだ」
無論、彼らのような全面擁護派の面々に限らず、誰もが少なからず彼女のなしている内容に関しては理解を示してくれていることを、知盛は知っている。だが、それだけで物事を判断するには、自分達は纏わりつく立場や肩書といったしがらみにがんじがらめにされ過ぎているという、ただそれだけのことなのだ。
「だが、アレは女だ……女の身であるならば、と。そう、世に求められることは少なくなく、今のアレは、その括りから逸脱しすぎている」
「でも、京にいた頃はそんなことがなかったのですから、これは今だけの特別なことだと、そう思っていただけないのですか?」
「特別と、思いはしても、違和は消せまい」
必死に振り仰いでくる幼い素直な双眸にひやりと言い放ち、静かに瞬いて知盛は続ける。
「お前は、何を求めている?」
「え?」
「誰もかれもに、上辺だけを愛でられること、か? それとも、相手が限られたとて、その深奥を解されること、か?」
差し向けられた問いはひどく静謐で、いっそ荘厳でさえあった。それは、彼女を示しての問いであり、希への問いであり、そして彼自身を示しての言葉であろう。
「お前の言うとおり、この戦乱さえ収まれば、アレは再び枠の中にあることを装い、誹りの大方は消えるさ」
そのまま宙へと視線を放り出し、知盛は言い切った。
「そうすれば、すべての見せかけが元に戻ろうよ。……ヒトは、良くも悪くも、忘却と共に、生きるものだ」
だから自分も彼女も、決定的にその地位を損なうことのないようにと匙加減に気を配りながら、別に多少のそしりは気にもしないのだと知盛は嗤う。
「俺が、アレの最奥の麗しさを、知っている……。それだけで、いい」
わだかまりが消えたとは言い難かったが、少なくとも彼女の強がる根拠とそれさえ見透かしてすべてを受け入れている“父”の姿を目の当たりにしたことでもやもやとした思いが多少は落ち着いた希は、はたと瞬いてから「のろけだったのだろうか?」ととりとめない思考に沈み、何ごともない昼下がりの残りを消化することとなった。
Fin.
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