似た者同士
“母”の読みは微塵も違われず、それからほどなくして知盛とは馬上の人になった。もう一人でも大丈夫だと、その言が聞き入れられたのか、他に預ける先がなかったのか。邸にぽつりと置き去りにされ、大丈夫だと自身に言い聞かせながら帰還を待つ時間はけれど七日とかからない。勝利と、それ以外の何かに酔った様子の凱旋を迎えた希は、そしてそのまま褥に放り込まれたに目を見開く。
「何があったんですか?」
「何があった、ではなく、何をしたか、と……そう、問うべきだな」
の眠る枕辺に居座ってどうやら手ずからの看病を決め込んだらしい“父”の隣にちょこんと座りこみ、眠る顔色がそう悪すぎるわけでもないことを確認してから問いを差し向ければ、言葉尻を捉えて混ぜ返された。
「父上」
「少々、無茶をしすぎただけだ」
重ねて問えば、今度はさらりと事情を一言で括られる。案じるな、と。この一月ほどでいったい何度聞いたかわからないおなじみの言葉を続けて与えられ、希は困ったように眉間にしわを寄せる。
知盛は嘘をつかない。隠し事はあるだろうし、言葉遊びに紛れさせて誤解を招くような発言もする。だが、嘘だけはつかない。安易な希望的観測も口にしないし、非現実的な悲観論も口にしない。この“父”の紡ぐ言葉はどこまでも現実に即しているのだということを、希はきちんと知っている。
だから、知盛が大丈夫だというのなら、きっとは大丈夫。それを理解している理性の向こう側で、無事に帰ってきたというのにまだ声を聞かせてもらっていない“母”への様々な思いが入り乱れる。
「案じるな。これしきのことでどうにかなるような、そんなやわな女ではない」
「それは、そうかもしれませんけど」
「わかっているなら、慣れろ。……戦乱において、身の安全の絶対の保証なぞ、存在せぬ」
息を呑んだのは、与えられた言葉の裏に潜まされた意味を察したからだ。理屈では分かっていた。戦があれば、勝者と敗者が生まれる。そうでなくとも、少なからぬ犠牲者が生まれ、怪我人が生まれる。そこに貴賤の別はなく、例外など存在しない。
あまりにも冷厳たる絶対の平等をもって誰もが命を切っ先に懸けて天秤に乗せるのが、戦乱という場所なのだ。
きっと知盛が言わんとしたのは、そういうことだ。大きな傷もなく、健やかに呼吸を繰り返して眠る姿を見るだけで蒼褪めているようでは、いずれ現実に耐え切れなくなる。がどれほどの強さを誇る将であるかは知らないが、希にとって強さの指標の最高位を揺るぎ無く占めている知盛でさえ、その身にはいくつもの傷跡が残っていることを知っている。
かほどの強さを誇る“父”でさえ消えない大きな傷跡をいくつも抱えうるのだ。そのいくつもの傷があとわずかにでも場所をずらしていたり深さを増していたりすれば、あるいはこうして希を宥め、諭す声には出会えなかったという可能性の存在を、わかっている。
「南都の連中は、しょせん荒法師崩れ……源氏の連中と刃を交える方が、よほど危険が多い」
そして、今後は二人とも、そういった戦場にこそ足を運ぶのだ。東国に赴いていた重衡は順調に勝利を重ね、けれど兵糧の不足をはじめとした諸々の理由ゆえに、鎌倉へ辿り着かないうちに京への帰還を余儀なくされていた。源平の争いは、混沌を深める様相を見せはするものの、収まる様子は微塵も垣間見えない。
「源氏が我らに切っ先を向けるなら、それを受けて立つ先鋒は俺と、コレだ」
焦るなと釘を刺されたのはつい先日だというのに、胸の奥で燻ぶる自身の幼さへの苛立ちがぶり返すのを感じて、希は悔しさに唇を噛む。
年月は越えられない。自分は幼い子供で、“父”と“母”は一門のために刀を携えて戦場を駆ける将。立場の隔たり、役割の重み、その意味。何にどれだけ焦れようとも、今の自分にできることはおとなしく邸で過ごすことだけだと、知っている。
「耐えることに、慣れろ。喪うやもしれぬ、その可能性ばかりは、待つものも、往くものも、微塵も変わらぬ」
お前が今ここで味わうその懼れを、俺もコイツも、抱えながら戦っているんだ。
そっと静寂の底に滲んだ言葉に息を詰め、横目でうかがうのは決してから視線の逸らされることのない知盛の静かな横顔。
「手の届かぬのと、届くのと……どちらの恐れが深いかなど、誰にもわからんさ」
与えられたのは述懐にして予言。ふっと遠くを見遣る深紫の瞳は、あまりにも人間離れした神聖さを湛えていながらあまりにも世俗的な恐怖に揺らいでいる。そして希は、身近なようでいて遼遠なその不可思議な存在感こそが知盛の嘘偽りのない姿だということも、知っている。
「早く、目を覚ましてくださるといいですね」
「……そうだな」
だから、与えられた忠告にして助言をしかと胸に刻みながら、確かな怖れを抱えて同じ願いに身を委ねる喜びを、そっと噛みしめることにした。
Fin.
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