歯痒さと渇望と
相争う刃の切っ先がどこを向いているのかは知っている。一度は自分も向けられた切っ先なのだ。知らないなどと、言えるはずもない。だが、希はその切っ先の向かう先に対して、嫌悪など覚えない。忌避も、憎悪も、怨嗟もない。逆に、こうして今自分を抱いてくれている“父”に向けられる切っ先の存在を、恨めしく思う。
背を撫でられながらぐっと唇を噛み、希は胸の奥底でいつしか揺らぐようになった思いを言葉に換えてみる。
「早く、大きくなりたいです」
「ほぉ?」
呻くように声を絞り出せば、興味深さに染められた声が軽やかに降ってきた。意外だと、声が雄弁に語っている。こうして言葉を使わず、声音で、視線で、纏う空気で会話を進める人なのだと。わかり、そうして差し向けられる音にならない相槌やら促しやらを読みとれるほどに自分は“父”をひたむきに見つめているのだと、思い知る。
「早く大きくなって、早く、もっとちゃんと剣を使えるようになって」
馬にも乗れるようになって、力が強くなって、もっとたくさんのことを考えられるようになって。思い描く“大きくなった自分”の方向性がどこを向いているかなど、きっと知盛にはお見通しだ。
「……ボクに、もっと力があればいいのに」
そうすれば、こうして自分のことをあらゆる意味で『守って』くれる“父”に、少しでも返せるものがあるのに。
恩を返すというのではない。きっと、それとは意味が違うと感じている。ただ、希は“父”の役に立ちたいのだ。守られるだけではなく、導かれるだけではなく、適うならば彼が何を見つめ、何を思い、何をしているのかを知った上で、その一端となりたい。その思いは憧憬であり渇仰であり、忠義にも似た、親愛だ。
生き方はまだわからない。“父”の生き様はあまりにも複雑で、まだ全貌など見えていないのだということだけを知った。けれど、その姿が凛と揺るぎ無く眩暈がするほどに圧倒的で、どうしようもなく凄烈だということを、感じた。
曖昧な気持ちで手指を伸ばしてはいけない。いたずらに穢すことはできない。だが、手を離してはいけない。見失ったが最後、この人はきっと、すべてを置き去りにして何か越えてはいけない境界線の向こうに往ってしまう。
「力を得て、大きくなって……それで、どうする」
「戦います」
ふと落とされた疑問符を伴わない、しかし明確な問いかけに、希は震える声を返す。
「そうすれば、父上の役に立てると思うから」
理屈など何もなく、ただぼんやりと湧く思いがゆるゆると絞られて向かった先が、その願いだった。
基礎の叩きこみからはじまり、手ずから導かれる中で希は徐々に、自分と知盛との間にある絶対的な距離を実感しつつある。年数が違う。鍛錬の量も、経験の量も圧倒的な差がある。それは埋めようのない差だが、だからこそもどかしく思う。
何もかもが遠い人であるとは感じていたけれど、本当に、どうしようもなく遠いのだ。何ひとつとして、追いつける気がしない。差異がわかるようになればなるほど遠さを思い知り、自分の脆弱さを思い知る。守られることしかできない自分の不甲斐なさに、ほとほと情けなくなる。
「ボクにはだって、何もできません」
「お前ほどの幼子に、いったい何をさせる?」
「でも、月天将殿は、女人なのに戦っています」
ぽろりと零れ落ちた本音には、真意の読めない声音での切り返し。それは決して拒絶でもなければ否定でもないと知っているから、思ったところをそのまま積み重ねて、今度は明確に呆れを篭めた吐息を返される。
「アレは、例外だ」
いつしか背を撫でるのをやめて腰に回されていた両手が片方だけ持ち上げられ、その胸板に額を押しつけていた希の頭を上向かせる。
「勘違いをしているなら、正しておくが……。アレと同じようになど、そんなことは、考えるなよ?」
「………それは、ボクが“白”を纏うからですか?」
静かに、噛んで含めるように告げられた忠言にぎりりと眉根を引き絞る。どうしてそんな反応をしてしまったのか、自分でもはっきりとしない内心に戸惑いながらも、口を衝く言葉は止まらない。
Fin.
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