朔夜のうさぎは夢を見る

ゆうひかげ

 薄青い空に、二色に塗り分けられた雲がぽっかりと浮かんでいる。天面は淡い淡い茜色。底面は、青を混ぜ込んだ薄墨色。やわらかな色調のそれらがあまりにものどかで美しくて、飽くことなく見入る背中から、仄かに呆れを滲ませた問いが響く。
「今度は、何に魅入られておいでだ?」
「空が、綺麗なものですから」
 言って首を巡らせ、夕暮れにはまだ早い光の中、は濡縁に立つ知盛を見上げた。
「あの雲や空の色を、茜色というのでしょうか」
 朱色というにはやわらかく、紅色というには深みが足りない。かといって、赤、と称すのでは味気なく、緋色と呼ぶにも優しすぎる。夕空を示す言葉として蓄えてはいるし、衣の色目としても見知っている。けれど言葉と言い回しとの関係を改めて思いながら、こんな光景に当てはめたのだろうかと夢想するのは、とても趣深いとは思う。
「あかねさす 日の暮れゆけば すべをなみ 千たび嘆きて 恋ひつつぞ居る」
 ふと読みかけられた句には、まだついていききれない。けれど、別にからかわれたわけではないことは向けられたやわらかな双眸から察されて、はひそりと笑い返す。
「切ない恋の色、というのは、またなんとも夕景に映えることと思います」
「色恋とは限るまい?」
「百も千も嘆くほどの恋に、思いを寄せる程度にはわたしも女なのです」
「なるほど、それは失礼をした」
 歌の含みや真意はわからずとも、言葉から察される意味合いにはある程度言葉を返すことができる。片足を引き、今度は半身を振り返らせて笑いかければ、どうやら満足のいく返答であったらしく、楽しげに喉を鳴らされる。


「茜色でも良かろうが、雲に刷く淡さは、鴇羽色が近いか」
「ときはいろ?」
 思いがけず話題が元に戻ったことにもいささか驚いたが、提示された単語に当てはめるべき漢字がわからなくて、はきょとんと音をなぞり返す。
「濃すぎるかもしれんが、白地に染む様には、朱鷺を思う」
 ところが、知盛はの問いを表現に対する解釈の不一致と捉えたらしい。いつになく丁寧に解説を付け加えられ、は慌てて「ああ、いえ」と言葉を継ぎ足す。
「とき、とは、もしや、鳥の?」
「桃花鳥と、そう言えばわかるか?」
 にとっては希少価値の高さと時代を経る内に喪われてしまった自然の恵みの象徴でさえある名称も、主人にとってはごく身近なものであるらしい。それこそ意外そうにしながらも恐らくは更なる解説とおぼしき言葉を繋げられ、別に責められているわけではないと知りつつの視線は俯きがちになってしまう。
「いえ、桃花鳥、というのは初めて聞きましたし、朱鷺の名も知っています。ただ、実際に見たことがないものですから」
「かの寺の麓の村にも、いただろうが」
「そうなのですか?」
 言い訳がましく自分の認識を伝えたに、今度こそぐうの音も出ない現実が突き帰される。


 どうやら、ただがそれと認識できていなかっただけであるらしい。今度こそ恥ずかしさで視線を持ち上げられない。
「里の近くにて多く見かける、白い鳥だ。田を荒らすが、羽裏の色味が美しいゆえ、伊勢の神宝にも用いられる」
 淡々と、今度こそ何も知らないと判断したためだろうへの説明の文言を追加し、知盛は「そうだ」と語調をほんの少しだけ弾ませた。
「ちょうど、矢を誂える用向きがある……此度は、朱鷺の羽を使うとしよう」
「え?」
 とても良いことを思いついたとばかりに口の端を吊り上げる瞬間を反射的に視線を跳ね上げることで目撃しながら、は恐る恐る問い返す。
「ですが、水鳥なれば、矢飛びもさほどでないのでは?」
 知盛が矢を誂えるとなれば、それは狩猟か戦闘かによらず、実戦用のものなのだ。矢飛びは長い方がいいし、丈夫な造りであることこそが求められる。よって、可能な限り鷲や鷹といった類の鳥の羽にこだわっていることを知っている。
「構わん。此度、院が執り行われる流鏑馬の射手にと、ご推挙いただいただけだ」
 言葉遣いばかりは丁寧に、けれどちっとも敬意の感じられない調子で返された説明にはほっと胸を撫で下ろすばかりだが、なんとも興味深く、聞き捨てならない情報である。
「ご衣裳も何か、特別な手配などご入用ですか?」
 女房頭である安芸をはじめ、いかに経験豊富な敏腕の女房を揃えているとはいえ、この手の儀式の準備は何かと手間と時間がかかることをも学んでいる。

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。