朔夜のうさぎは夢を見る

夢追い人の見る夢は

 情報交換を終えた後、頭領としての仕事に戻ったヒノエと別れて荷に詰めたい薬草をせっせと包んでいた弁慶の許を、そして待ちわびていた相手がようやく訪ねてくれる。
「精の出ることだ」
「僕らのような徒人は、怪我をすれば薬草が必要になりますからね」
「神に選ばれし身空でありながら、徒人と?」
「天寵に恵まれるあなたに比べれば、僕らなど徒人も同然でしょう」
 卑下するつもりはなく、それはただ純粋な発想による感想だった。だが、その言葉は相手の心証を害するものにしかならなかったらしい。静かに凪いでいた空気が、ふと冷たさを纏う。
「傲慢なことだな。ヒトに、あるまじき……そう。唾棄すべき傲慢さ、だ」
 言葉と共に突き刺さる視線の鋭さはそれこそ抜き身の刃のようであり、喉元に刃先を突きつけるような冷酷な嫌気を隠そうともしていない。ようやく顔を上げた弁慶の目線の先には、発言の物騒さとは裏腹な、まったくの無表情が待ち構えている。
「八葉の皆々様方の中において、お前ぐらいは“代償”の意味をわかっているかと思ったのだが」
 続けざまに表情を左右非対称に歪めながら投げつけられた言葉の真意は、量れない。つい反射的に弁慶の脳裏をよぎった“代償”は、彼の知るはずのないことだ。だが同時に、知っていても不思議ではないとも思う。そう、根拠もなく思わせるだけの何かを、彼は確かに隠している。


「期待外れでしたか?」
 呼吸ひとつの間さえ挟まず、いっそ艶やかに笑って弁慶は切り返してみせた。
 少なくとも自分が相手にとって、他愛のない言葉遊びをもちかけられる存在ではないという自覚ぐらいはあった。ならばきっと、この遣り取りでさえすべては駆け引きなのだ。負けるわけにはいかない。
 これほどの逸材をこれからの旅路に引き込むことができるか否かは、決して無視できる規模の話ではない。人数が増えれば無論、隠密行動が困難になるという危険性も孕んでいるが、戦力としての価値がそれ以上に重い。戦闘力という意味だけではなく、その頭脳、慧眼、経験、人脈のすべてにおいて。
 彼ほどの“戦力”は、めったに手に入らないのだ。
「そうだな」
 ひどく忌々しげに肯定を紡ぐという矛盾した行動を起こしてから、部屋と廊とを隔てる柱に左半身を預けていた銀色の青年は大きく嘆息する。
「俺も、諦めがついた」
「諦め、ですか?」
「お前達ごときに、あの男を任せるわけにはゆかぬと」
「僕らは“仲間”を大切にしますよ?」
「盾に、囮にすることを、俺は『大切にする』とはみなさない」


 冷やかな断定には微塵の疑問さえ差し挟まれておらず、さすがにそこまであからさまな可能性は優先順位をかなり低く位置づけていた弁慶としては、今度こそ隠しようのない苦笑が零れてしまう。
「たとえ“還内府”を差し出したところで、今の鎌倉殿は九郎を見逃してはくれませんからね。そんなことはしませんよ」
「だが、いざ時間稼ぎが必要となれば、迷いはしないだろう?」
 一応とばかりに弁明を試みるも、多少は隠した本心などすっかり見抜かれているらしい。下手に否定を返すことも馬鹿馬鹿しく、肩をすくめるにとどめた弁慶に、今度はごく静かな声音で青年が言葉を繋げる。
「いずれ、平泉には俺も用がある……別当殿への、返礼にもなろう。欠けたる地の白虎殿には及ばずとも、神子殿をお守りして奥州へ落ちるための一助となろうか」
 気のない調子の、相手の同意など必要としていないごく一方的な物言いではあったが、当の弁慶には断るだけの理由がない。自分の力で獲得したというよりは状況が味方したという要因が強かったが、結果を得られるのならそれもどうでもいい。
 不安要素の多い道行きを少しでも確実なそれとするための貴重な人材を獲得することができた、と。その事実が、つい先ほどヒノエと後に知れると語り合った結論となった。それだけが、必要だったのだ。


 その場で溜め息をつくことはかろうじて堪え、気配も足音も殺したまま九郎はそっと来た道を引き返すことにした。
 さすがにこれ以上熊野に留まれないことはわかっていたし、となれば頼る先としては平泉以外に思い当たらない。望美や譲を源平の諍いに巻き込んだからには、彼らもまた九郎義経の一行と見なされている今、中途半端なことはするな。彼らを最後まで守るためにも、責任を取るためにも、こんなところで死ぬことは許さない。最後の最後まで生き抜け、と。
 叱咤の形を借りた、それが弁慶一流の慰めであることはわかっていた。けれど、そんな気遣いやら何やらをひっくるめた上で、その言い分に正直なところ九郎は納得できていない。同時に、丸め込まれているような気がしながらもその弁の正当性さえ理解できないほど無責任ではありたくないとも、思う。
 だから、複雑な心中を抱えながら旅立ちには同意したし、そのための準備にも奔走してきた。そうやって忙しさに紛らわすことで目を逸らしていた苦々しい現実に、昼に響いた将臣の怒号によって強制的に意識を引きつけられるまでは。
「諦め、か」
 ある程度以上の距離を取ったことを確信して、まず唇から滑り落ちたのは耳に届いたあまりに冷たい一言。
 無論、九郎にも言いたいことは山のようにある。信じていたのに裏切られた。騙された。あんなにも屈託なく笑って、気さくに言葉をかわして、しかしそこには常に猜疑と警戒があったのかと思えば悔しくて悲しくてやりきれない。だが、任せるわけにはいかないと、静かながらも強く言い切った低い声を聞いて、九郎はようやくその先へと思考を向かわせる。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。