夢追い人の見る夢は
どうやら忙しい合間を縫って仲間達の様子見に訪れただけらしいヒノエは、そのままバタバタと邸を後にした。どうせ、それぞれがそれぞれに消沈したり体調を整えたりしている中、将臣はこれ幸いとばかりに知盛の世話を焼くことに終始していたのだ。単独行動を誰に咎められるわけでもなく、一人だけうきうきと浮ついてしまっている空気によって誰の神経を逆撫ですることもない。
我ながら薄情だと思いつつ、それでも生き死にを懸ける場面を長く共に過ごしてきた相手への情は、肉親や幼馴染のそれと比べても遜色などない。あからさまに落ち込みきっている天地の対には申し訳ないが、将臣はこの慶びを蔑にするつもりなどなかった。しかし、久方ぶりの穏やかな心持ちに浸っていられたのは、夢と現の狭間を行きかう眠れる獣の世話をしていた間だけ。
遠からず崩れることを知っていた平穏をあえて掻き乱したのは、早々に身動きがとれるほどの回復を遂げたらしい知盛当人であった。
褥から起きだすことが適う程度に回復したかと思いきや、あっという間にヒノエに繋ぎを取り、さらにはそのヒノエを介してどこか外部と連絡を取り合っているらしい様子にはただ感心するばかり。
共に過ごした中でも、こと、還内府と呼ばれたこの二年と少し。違和感と申し訳なさと共に抱き続けていた感慨を、将臣は改めて噛み締める。
これほどの才覚、これほどの手腕。わかりにくいものの決して覆い隠されるばかりではない上に立つ者としての器。平家総領として求められるだろうおよそすべての要素を満たしていながら、黄泉より還りし棟梁の見つめ続けた幻想ゆえに、その立場からあっけなく追い落とされた在るべき総領。
それでもその処遇の非常識さを嘆くでなく、恨むでなく、還内府という幻影を誰よりも活用しながら持ちうるすべてを一門のために供し、将臣に居場所と意義を譲り。すべてを持っているのに、ほんのわずかなものさえ手にできずにいる不器用な智慧者。
決して愚昧な方ではないと自負しているのだが、結局いつになっても、将臣は知盛がいったい何を思ってそんな不器用な役回りに徹しているのかを知ることはできなかった。ただ、任せておけば間違いはないのだという絶対的な安堵にも似た信頼を丸ごと預けていたというのに、いよいよ平泉への出立が間近に迫ってきたある日の午後になって、ふいに突きつけられたのはとんでもない言葉だったのだ。
会わせたい相手がいる。呼び立てられた際に告げられた理由は、それだけだった。
知盛の存在は、将臣にとってはいわばこの世界全般に対する入り口のようなものでもある。平家に拾われてより、なんだかんだと直接的に世話を焼かれたという経緯もあるだろうし、知盛自身が実は面倒見の良い性質であるということもあるのだろう。よって、公私を問わず彼から人を紹介されることには慣れ切っており、思惑も建前も予測のつかない唐突な誘いを、断る根拠は何もなかった。
ふらりとやってきて、前触れもなく誘い、断られることなど微塵も想定していなかったろう様子で連れて行かれた先にいたのは、老年の男。絢爛豪華というわけではないが、みすぼらしい見かけでもない。中の上といったところか。そう、相手の家の格を一目で量れるのは将臣が上の上という階級の有様を、肌で知っているためだ。
室内に踏み入ってきた将臣を見てはっと目を見開いたものの、男はすぐさま丁重に頭を下げ、知盛と将臣が腰を落ち着けるのを待ってから顔を上げる。
「お噂には聞いておりましたが」
「やはり、目の当たりにすると感慨も違われるか」
「過日の内府殿にまこと、よく似ておられますな」
しみじみとした声はひたすらの郷愁に濡れ、けれど将臣に幻影を被せるそれではなかった。たとえるなら、孫を見やる祖父のそれだろうか。
「だが、似ているだけだ」
しばしの静穏の後、付け加えられた知盛の静かでどこか切なげな声に、懐かしさに細められていた男の双眸がふと鋭さを宿す。
「無論、承知しております」
「有川」
「ん?」
そして呼ぶ声は、凪いだ音調の底に滲む慈愛を隠す気などさらさらなくて。
「こちらは、伊勢に所縁のある御方でな」
「手前は熊野へと身を移しましたが、もとは伊勢の出でございます。今なお、家門は伊勢に」
「はぁ」
「渡りはつけた……お前、伊勢に身を潜めておけ」
与えられた情報を知識として叩き込みながら、話の先が読めずに生返事を返すだけだった将臣は、続く知盛の言葉に息を呑む。
Fin.