朔夜のうさぎは夢を見る

夢追い人の見る夢は

 もちろん知盛は自覚している。嫌というほどに、諦めをつけている。だって、どうしようもない。いかんともしがたいしがらみゆえか、生まれ持っての性情ゆえか。知盛がとっくにどこかに捨て去ってきてしまった愚直さを体現するこの男は、同時にその愚直さをただの夢想にしないだけの強さを持っていて。
 ゆえに知盛は将臣を好み、将臣に魅かれた。その有様を歪めずに保てればいいと、描く夢を叶えるために共に尽力することを選んだのだ。
 だが、だからといって許容できることとできないことがある。それもまた紛れもない事実。いい加減に苦言を呈さねばならないと眉間に皺を寄せたものの、この世ならざる不可思議によって傷を強制的に癒された体は、決して万全のものではなかった。
「――っ!?」
「あ、おい! 大丈夫か?」
 吸い込んだ空気を脳髄に送る感触と、それによって平衡感覚を乱される感覚は同時に。視界が白光に染まり、ゆらりと傾ぐのを支えられたことを知る。気遣う言葉をかけながら手慣れた調子で褥に横たえさせられるのを他人事のように捉えながら、瞼を下ろして乱れてしまった呼吸を整えることに注力する。


 たかが三年。されど三年。ある意味誰よりも近い場所で背を預け合い、腹を割り、同じ道を見据えて駆け抜けてきた関係は決して軽微なそれではない。思わぬところで知盛から自由を奪い続けてきた蒲柳の質を知る血の繋がらない“義兄”は、母を異にした長兄と同じく、非常に面倒見の良い男なのだ。
「無理すんな。とにかく、そういうことだから、お前はもう少し寝とけ」
 何が「そういうことだから」だ、と詰ってやりたい思いが胸を満たしているのだが、指摘は的確。この段になって不意に、しかし抗えぬ強さで襲ってきた極度の疲労に負けて、知盛は薄く視界を開くことさえできずに意識を闇に落としていく。
「次は重湯をもらってきてやるよ」
 言ってさらりと前髪を梳く指先は、硬くて武骨でけれどあたたかい。
 眠りに落ちる遠い意識の中で、思うのは目覚めた時と同じ感慨。生きている、生きているのだ。自分も、この男も。ならば、まだ手が届くところにいるこの男を、守ってやらねばならない。
 あの娘には届かないけれど、この男には届くから。せめては手の届くところにある相手を守ってやらないことには、きっと、取り返しのつかない後悔に沈むだろうことを、知っているから。


 深く深く息を逃して意識を手放した年上の義弟の髪をそのまま二、三度梳いてやり、上掛けを丁寧にかけてから将臣はそっと腰を持ち上げた。生き延びてくれたのは奇跡の中の奇跡だ。もう駄目だと覚悟を決め、最期を看取るつもりでついていた。その相手が、今は何とも健やかに寝息を重ねている。
 いったいいずこの神が齎してくれたのかは知らないが、この僥倖に、ごくごく素直に天を仰いで知る限りの感謝の言葉を叫びたいと思えるほどには、ようやく将臣の心も穏やかさを取り戻していた。
「随分と、すっきりした顔をしてるじゃん?」
「ヒノエ」
 けれど、叫んだりしてはせっかく眠りについた知盛を起こしてしまう。あの男は、実に寝汚いと誰もが口を揃えるだろう睡眠への欲深さをみせるくせに、その実、睡魔からはあまり愛されていない。いつもいつだってうつうつとまどろむばかりで、深く眠れないからこそ睡眠時間を長く取らざるをえないという悪循環を、教えてくれたのは失われてしまったもう一人の銀色の義弟だったか。
 いずれにせよ、心にかかる暗雲が一部払拭されたことに違いはない。足取りが軽くなっている自覚を抱きながら濡縁を歩けば、どこかに出かけてでもいたのか、庭先に姿を現した邸の主から声をかけられる。


 名を紡ぎ、足を止めて振り返れば、実に気安い調子でヒノエが距離を詰める。
「何かいいことでもあったわけ?」
 こんな状況にあるというのに。
 声に出されなかった揶揄が耳に届いた気がして淡く苦笑を返し、将臣は「まぁな」と素直に頷いてやる。
「知盛が、目ぇ覚ましたんだ」
「へぇ?」
 端的に事実を告げれば、ひゅっと喉を鳴らして息を吸い込んでから、それでもヒノエはすぐさま冷静さを取り戻してみせる。目の奥にやわらかな光を宿し、軽やかな相槌は将臣に必要以上の重さを押しつけたりしない、実に大人びたもの。
「場所、貸してくれてありがとうな。それと、薬も」
「壇ノ浦での借りを返しただけだ。アンタが気にすることじゃないよ」
 けろりと言ってのける気負いのなさは、この年若い青年が紛れもなく大勢の民を束ね、守る頭領という立場にふさわしいことを雄弁に語る。ああ、器が大きい奴だなぁと、夏の熊野で交渉の場に立った時とは似て異なる感慨を覚える。
「それにしても、とんでもない奇跡だね。オレは、もう駄目だと踏んでいたんだけど」
「そこは同感。俺も、助からないって覚悟はしていたんだけどな」
 もっとも、予測も仮定もさほどの意味は持たない。何よりも優先されるべきは現実。目の前に厳然と横たわる事実こそが二人にとって最上級の意味を持つものであり、触れられない理屈も真理も、微塵の価値もありはしないのだ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。