夢追い人の見る夢は
すっかり意識が沈んだことを確認してから廊へと踏み出し、寝殿に足を向ければさほどの距離も置かぬ先から人の気配が生じる。
「具合、どうだ?」
「一度お目覚めになられた。もう、案じることもあるまい」
どことなく居心地の悪そうな表情で問いかけるは置き去りにしてきた人の“義兄”。かりそめの繋がりを確かな絆として確立した、在りうべからず蝶門の総領。
「だが、今は眠っておいでだ。しばし、そっとしておいて差し上げる方がいいだろう」
「大丈夫、わかってるよ。邪魔したくはないんだ」
二人が佇むのは、泰衡個人の住居でもある伽羅御所の離れから続く渡り廊下の一角だ。
「銀が来てたぜ」
見舞いに行きたかったのだろうに、泰衡の言葉に軽く頷いて踵を返した将臣は、共に寝殿へと向かいながら何気ない調子で遣いにも似た言葉を紡ぐ。
「……“銀”が?」
「ああ、“銀”が」
あえて呼称を強調した意味を、この男が気づかないわけもなかろうに。あっけらかんと頷いて、それからちらと視線を流してくる。
「それと、伊勢に遣いを出したいんだ。悪いんだけど、人手を割いてはもらえるか?」
「伊勢に? いまさら、神宮でも詣でに参るのか?」
「ま、そういう名目をつけて、俺が行ってもいいんだけどさ。言っちまえば、後処理だよ」
このまま、ずっと平泉にいるのはさすがにまずいだろ。一応、あてがあるからな。告げて軽く肩をすくめ、将臣は「考えといてくれ」と言ってから廊下を折れる。恐らく、裏手から高館に戻るのだろう。あまりにも気楽な調子で紡がれるゆえ真意がまるで読めないと唸る泰衡の苦々しい表情など、振り返りもせずに。
多勢に無勢、圧倒的不利をもって完膚なきまでの敗戦を期すと思われていた鎌倉との戦いは、平泉の勝利にて終結した。もっとも、圧勝とは言えないし、敗北よりもましというだけの結果だ。土地は荒れ、多くの兵が死んだ。それでも、平泉は守り抜くべきものを守り抜いた。ゆえに、こうして平和を享受している。
ヒトならぬモノには、同じモノで抗えばいい。決して多くのものに知らせることなく、そして知らせた先ではことごとく支持を得られなかった泰衡の先見の明こそが真実だったと明らかになり、静かに、老練にして偉大な先代は後進に道を譲った。
語り草になっている逸話はいくつもある。あの、表向きにはたった二日間だけの決戦の中で、あまりにも多くの武勇伝が生まれた。それはすなわち、あの二日間がいかに色濃い存在だったかを暗黙のうちに語る証拠。長く続いた源平の諍いにおいて両軍の雄と謡われた存在が一同に会する、後世から見ればあまりに垂涎ものの一戦だったに違いない。
そうして否応なく異常なまでの高まりをみせた兵達の士気を宥め、このまま鎌倉を攻め落としてしまえとの過激な意見を見事に抑え込んで内情の立て直しに従事できる泰衡の怜悧で英邁な判断こそ、恐らくは後世において絶賛されるのだろうが。
とはいえ、すべてを怜悧に判断しているように見える泰衡でも、もちろん感情に左右される側面が存在する。たとえば、世話など薬師に任せておけばいいものの、気になって気になってどうしようもなくて、忙しい時間を縫っては手ずから看病に足しげく通う伽羅御所の離れが良い例だ。
「何用か?」
寝殿に到着し、南面の庭先でじっとひざまずいている銀色の人影に、泰衡は短く問いかけた。
「もうこのような真似をなさる必要はないと、再三申し上げたつもりだが」
これまでならば、先の一言で口を噤み、返される言葉を待っただろう。だが、泰衡は言葉を繋いだ。問いかけられて持ち上げられた淡紫の双眸をじっと見据えて、詰るでなく自嘲するでなく、ただ事実をなぞる言葉を。
「私も、もはや己が用済みだと否応なく感じるまで、お傍にてお仕え申し上げますと、再三お願い申し上げておりますゆえ」
「……知盛殿が、先ほどお目覚めになられた」
このままの問答では埒が明かないことは、これまでの数日間で十分すぎるほど証明されている。ふと思い出して矛先を変えてみれば、澄まし顔の青年はその代名詞でもあろう不動の微笑をあっけなく崩し、ぽかりと口を間抜けに開ける。
Fin.