朔夜のうさぎは夢を見る

夢追い人の見る夢は

「九郎達と一緒に頼朝の船から退いたのは覚えてるか?」
「ああ」
 それは、無論。自分はこの愛すべき愚かな客人だけをあの絶体絶命の場から連れ出せればよかったというのに、それこそ知盛の絆された愚かさを余すことなく発揮してくれた瞬間だったのだから。
 知盛が戦線を預かり、その間に将臣が戦う術を持たない者達を導いて落ちる、というのが筋書きであるはずだった。そのために手はずを整えたし、策も練った。打ち合わせを過ぎるほどに行い、散々に渋りながらも最後には納得していたはずだった。だというのに、あろうことか裏をかいてくれるとは。
 将臣の性格からして、決して心底納得してはいないだろうと思っていたが、さすがの知盛にとっても想定の範疇外だった。
 もっとも、その想定外の事態さえ、可能性として挙げることはできていた。ゆえこそのさらなる策を巡らせておいたのであり、それが成就したがゆえに、あの命の遣り取りの場を抜け出して将臣の許に駆けつけることができたのだから。


 自軍の兵には、決して鎌倉方の御座船には近寄るなと重々に言い含めておいた。もはや平家の敗北にして滅亡は確信であり、約された未来であると達観していた。ゆえ、必要以上の危険な賭けに出る気はなかったし、最後まで付き合ってくれる郎党達には、武士らしからぬ最期を与えるつもりなどなかった。
 何が、という真相まではわからない。ただ、鎌倉殿の許にはヒトならぬ力が在るということを知っていた。ソレに対して過剰なほどの警戒心を抱く陰陽師に忠告を与えられ、そもそものきっかけとしてはソレを滅す手段として龍脈に手出しをした己が父を見ていた。
 それらを軽んじるつもりはなく、それらを妄虚だと断ずるには、知盛は揶揄された存在の得体の知れなさを直感しすぎてしまっていた。
 己で何としてもと、そう思い定めるならば止めはしない。だが、鎌倉方の御座船には近寄るな。そして、もしもこの戦場において『在ってはならない』存在を見出した折には、その存在を守ることを心がけろ。
 それが、知盛が兵達に下した命。そしてそれゆえに、どうしても外せない戦力となってしまったことからも、必ずや戦場を駆けているだろう白龍の神子の神力にあずかるに格好の機であることからも。惜しみなく投入した怨霊兵達が残されていたろうかそけき理性で知らせてくれた“還内府参戦”の報せに、知盛は自身に戒めていた禁じ手を駆使してありうべからざる戦局に追いつくことが適ったのだ。


 しみじみと、うっかり回想に耽っていたのはお互い様だったらしい。思い返せば思い返すほど、そういえばこの無謀な総領に苦言の一つや二つ、呈さなくては気が済まないとの思いが募るのだが、それをこの場で実行していては話が進まない。溜め息ひとつで内心の思いを沈め、知盛は記憶の途切れた瞬間を探り当てる。
「舵を別当殿に預けたところまでは、覚えている」
「あー、そうだな。その辺、俺も結構必死で、いつの間にかお前が気ぃ失ってたのに気がついたの、それからちょっとしてなんだけど」
 それはそうだろうと思い、同時に案外重要な手掛かりまでは意識を保っていたものだと、他人事のように当時の己を振り返る。神子一行との斬り合いで負った傷しかり、将臣に追いつくまでに負った傷しかり。そして何より、呆けるばかりで身動きのできない敵将を助けようと粘る将臣を庇って、頼朝の護衛達から受けた傷が重かった。
 さすがに源氏の総大将にして棟梁を守るからには、腕もよければ意地と矜持も見事なもの。生きて脱せたのは本当に奇跡のような確率だったのだ。
「では、ここは熊野か?」
 もっとも、それらの思索は今この場においては決して必須ではない。自分の辿れる記憶から考えうる一番の可能性を提示すれば、苦い表情で将臣は肯定を返す。
「はじめは、平戸を頼ろうかと思ったんだけどな。とっくに源氏に寝返った後だった」
「当然の帰結……だな」
「まぁな」
 それが時流というものだと、知盛も将臣も、痛いほどに理解できている。だから、声は苦くとも言葉は重くなり過ぎない。


 神子一行に熊野別当が同道しているのは見知っていたが、では、きっとあの御座船で将臣が九郎を生き延びさせるために粘ったのは、正しい選択だったのだろう。
 源氏の神子は、白龍の神子。九郎義経と熊野別当は、神子の八葉。特異な絆で結ばれるという彼らを助けたことは、切り離せない縁になる。熊野が戦乱に巻き込まれることを何よりも厭う別当がこうして危険に過ぎる火種を抱え込むことを決断するだけのきっかけを、将臣は己の命を呈して勝ち取ったのだ。
 やはり、この男は愛すべき愚者。誰よりも誰よりも、救われなくて報われなくて頭痛を堪え切れない選択肢に手を伸ばすくせに、それは誰よりも正しく美しい決断になる。そう思ってやわらに溜め息を吐き出したというのに、続けて将臣は知盛の頭痛を悪化させるような言葉を吐き出す。
「とりあえず、次は平泉に向かうことになった。熊野に長居するわけにもいかねぇし、南に落ちるには目立ちすぎるし」
「……御曹司殿らと、共に行くつもりか?」
 まさか、よもや、そんな馬鹿な。頭の片隅で渦巻く否定しきれない確信を覆そうと様々な反語を思い浮かべるが、将臣はけろりとした表情で「当然だろ?」とのたまってくれる。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。