夢追い人の見る夢は
地面に向けられたまま、決して持ち上げられることのない視線は、何を示しているのだろう。彼女は、いったい何にかくも怯えているのだろう。こんなにも悲しんで、こんなにも悩んで、迷って、苦しんでいるのだろう。
「神子様さえ復調なされば、この平泉にもたらされた“すべての呪詛”が、解消されるのですか?」
「神子が復調しなければ、何も、何ひとつ、解決しないのです」
縋るように、祈るように、絞り出されるのは血を吐くような願い。ああ、彼女は一体、何を知っているのだろう。九郎は思う。きっと、彼女もまた、九郎の知らない何かを知っている。そのために望美の力を欲していて、けれど欲するためには彼女の持つ何かを犠牲にしなくてはならなくて。
「平泉に撒かれた呪詛を祓うことができるのは、神子だけです。きたる鎌倉との決戦においても、彼女は不可欠の戦力となるでしょう。ただし、それにはすべて、神子が万全の状態にあるという前提が必要です」
淡々と織り上げられる弁慶の言葉に、は黙って聞き入っているようだった。そのまま訪れてしまった沈黙を埋めるように、今度は銀が口を開く。主人に求められない限り、いついつまでも黙って控えていそうな、この、従僕の鑑とも呼べるだろう青年が。
「姫、どうか、」
お聞き届けください、と。掠れた声での懇願に、の視線が跳ねて、その淡紫の双眸に据えられる。
「どうか、ご慈悲を」
流れるような所作で膝を折り、頭を垂れ、銀の決意はいつかの夕刻と微塵も変わらない。
まるで泣きだしてしまいそうな頼りない光を双眸に浮かべてから、は柳眉を引き絞った。
「――叶う限り、としか、申せませんが」
瞼を伏せて、一心に見つめる四対の瞳のどれも見やろうとはしないまま、暗に肯定を示す言葉だけが紡ぎあげられる。
「成せる限りは、為してみましょう」
それが、平泉のためとなるのなら。知盛自身の、彼が愛する家族の、ためとなるのなら。
よほど煮詰まっていたのか、それとも捕えた獲物を逃すつもりが微塵もないだけなのか。まるで心変わりを厭うような弁慶に促され、あっという間には依然として血の気の引いた様子のまま、けれど眠り続けることにはさすがに飽きたらしい望美の枕辺を訪れていた。
「どうしたんですか? みんなそろって」
「お見舞いですよ。調子はいかがですか?」
やつれ、蒼褪めた微笑みはいかにも痛ましい。慣れた調子で弁慶は脈を取り、不器用にもぽつぽつとその日にあったことを九郎は語る。その様子を眩しそうに、そっと愛でるように見つめる銀の双眸は、どこか切ない。
「ところで、どうやら胡蝶さんが穢れを祓う術を心得ておいでだと聞いて、ご一緒いただいたんですが」
「そうなんですか!?」
それまで、膝に白龍を乗せてやったまま、にこにこと表情を綻ばせていた望美の様子が弁慶の一言で一変する。縋りつくというよりも、もっともっと切実で必死な表情が、じっとに突き刺さる。
そんなことが可能なのか。可能ならばどの程度。けれど、ならばなぜ、今まで何も言ってくれなかったのか。
唇から飛び出してはこないものの、望美が言わんとすることはあまりに雄弁にその碧の瞳が語りつくしている。
「どの程度、お力になれるかはわかりません」
過剰に期待を寄せられすぎても困る。多少の異能は確かに認めよう。けれど、これでもは徒人なのだ。望美のように、神に求められた神子ではない。九郎や弁慶のように、その神子の守護のためにと神通力を与えられた存在でもない。ただ、ほんの少しだけ、人という括りの隅に近しいだけ。
「けれど、どうか。どうか、もしわたしの力があなたの力となったなら、お聞き届けください」
いざ目の前にすれば、それでもやはり恐怖に身が竦む。彼女の裡には、いったいどれほどの力が眠っているのだろう。どれほどの穢れが、溜めこまれてしまっているのだろう。
「この平泉を救うこと。平泉に齎された“すべての呪詛”を、祓ってくださるよう」
言葉の裏には、きっと彼らの知る由もなかろう願いをそっとこめておいた。卑怯なことと思いはしたが、今のこの状況を鑑みれば、一方的に糾弾されることもなかろう。
差し出すことになる代償は、想像もつかない。
本当なら、こんなまだるっこしいことなどせず、己の手で救えればいいと思った。けれど、根ざした呪詛はあまりに深すぎて、手の施しようがなかった。あれこそ、決して手出しをしてはならないモノだった。それに比べれば、わかりやすくその身に巣喰った穢れを引き受けることの方がまだましなのだ。
「約束します」
望美は怯まなかった。微塵の迷いもなく、強い強い光をその双眸に湛えて、の願いに対して確かに顎を引いてくれた。
ああ、大丈夫だろう。大丈夫、きっと信じられる。そっと見返してくれた瞳には、確かに痛みと、悲しみが滲んでいた。その視線が滑って白銀の従僕を見やったことに、は気づいた。
望美が何を知っているのかはわからない。もしかしたら、それこそ神子としての何がしかの感覚で、が言葉の裏に潜ませた願いを察したのかもしれない。根拠はないけれど、そう直感して、ほんの少しだけ胸の奥のしこりが軽くなる。
どうせ、あの優しい人をまたたくさん心配させて、悲しませてしまう未来は不可避なのだ。ならばせめて、残る憂いは少ない方がいい。
「目を、閉じていただけますか?」
身を切るための儀式を促す言葉は、思いのほか、ずっと穏やかな音調で紡ぐことができた。
Fin.