夢追い人の見る夢は
人手が足りなかろうというの言い分には、まったくもって間違いなどない。どうにもならない部分に下男下女を置いてはいたが、内情をみせないよう仕事を制限してしまえば、手の回らない部分が山積みになるのだ。
平家は嫡流の新中納言の筒井筒という立場にありながら、けれどの姿を見れば見るほど九郎はよくわからなくなる。生活ができないというほどではなかったが、最低限にしかこなさないためどこかしらに粗雑さが見え隠れしていた日常が、わずかずつではあるが円滑さを取り戻し、快適さを増していく。初日に見かけた際にも思ったことだが、彼女は青年公達の筒井筒たる名家の姫君ではない。非常に優秀な女房だった。
その証拠に、知盛の苛立ち具合が実に和らいでいると九郎は思う。決して慣れ合っているわけでもなければ、気を抜いたようにも見えない。けれど、余計な苛立ちは確かに抜けている。雑味が排除され、残されたのは怜悧な存在感。
ゆえに誤魔化しようがなくなったのは、良いことなのか悪いことなのか。
おぼろげには察していた。今は確信を持った。
彼は、九郎に歯がゆさを覚えていて、弁慶のことが気に喰わない。望美に苛立ちを覚え、朔への不干渉を己に課し、銀が苦手。
そしてなにより、白龍のことが大嫌いなのだ。
望美が倒れた日の散策に付き合った翌日から、知盛は主に泰衡からの要請を優先して動くようになった。毎日のように兵の調練に顔を出し、時には泰衡と何やら言葉を交わしているらしい。余計なことをするなと釘を刺されるばかりで、それでも居ても立ってもいられずに呪詛の種を探して歩く自分達とはあまりに対照的。きっと自分はどこかで何かを間違ったのだろうと気づきつつ、九郎は引き返すことを思いつかない。
川湊の怪異は回収できた。それに限らず、そこかしこに湧く怨霊も退治ている。泰衡はあいにく、望美の被った穢れを祓うことはできないそうだったが、代わりにいつなりと祈祷の手配はしようと約束はしてくれた。
気休めかもしれないが、それでもと頼り、わずかに回復の兆しがみられた望美によって、回収した呪詛も祓うことが適った。けれど、やはり復調とは言い難かったのだ。望美は今度こそ完全に体調を崩し、龍脈が多少といえ正常さを取り戻したがため回復の様子をみせている白龍の表情も、暗い。
いつも、いつもそうだ。いつもどこかで何かを間違えて、正しいと信じているのに、間違えて、間違えて。そして取り返しようがなくなっている。兄との関係も、旧友との、関係も。
だが、だからといって九郎にできることは変わらない。望美が復調してくれなければ、八葉としての力などろくに発揮できようはずもない。敦盛のかつての助言を信じて怨霊を散らして歩く毎日だが、相変わらず、泰衡から大社への立ち入り許可は得られない。
その日もその日とて、効果が得られたのか得られていないのか、いまいち実感を持てないまま高館に戻ってみれば、なんとも珍しい光景が目に飛び込んでくる。
「……白龍?」
「それと、胡蝶さんのようですね」
埃にまみれた手足をすすごうと水場に向かってみれば、どうやら晴天をいいことに洗い物に励んでいたらしい娘の背中に行き当たる。そして、その傍らにまとわりついているのは、幼い子供の姿を模した神だ。
九郎が思わずといった調子で呟けば、追随するのは伴っていた弁慶。その声に弾かれるようにして、先導していた銀がなんとも複雑な空気を醸し出しながら、止めていた足を動かす。それにつられて九郎達もまた足を進め、そして耳に届くのは実に不可思議な問答。
「ねえ、どうして? どうしてあなたはここにいるの?」
「なぜ、と問われましても」
「あなたは神に仕えているの? いないのなら、神子を助けられるでしょう?」
腰許にまとわりつく幼子を、なすすべなく、辟易した様子で見下ろす横顔には困惑以外の表情がひしひしと滲んでいる。まるで、苦虫を噛み潰しているかのような。
「白龍様、菖蒲の君。いかがなされましたか?」
と、実に絶妙の間合いで銀が口を挟む。
「白龍様は、まだお休みになっておられませんと」
「そうですよ、白龍。まだ、復調したとは言い難いのですからね」
その間を逃さず、追いついた弁慶もまた言葉を重ねれば、完全に振り向いたはあからさまにほっとした表情を浮かべ、白龍は困惑を深める。
「弁慶、九郎。どうして誰も、何も言わないの? 銀も。みんな、知っているのでしょう?」
「いったい何の話だ?」
それこそ困惑もあらわに、実に素直に問い返したのは九郎だけ。けれど、九郎はそのことに気づかない。弁慶が鋭く眼光を光らせたことにも、銀が縋るようにを見やったことにも。が、いよいよ瞳の奥の悲嘆を深めたことにも。
「九郎、九郎。わからない? 胡蝶は撫で物。形代。神子の穢れを、祓うことができる」
決定打は、その一言。弁慶は表情を消し、銀は覚悟を決め、九郎は双眸を見開いた。
無論、神の言の葉に偽りは何もない。ただ、神の語らざる真実があるのだということに、気づいたものと、気づかなかったものがいるだけ。気づいていても、誰も語らなかっただけ。
息を吸い込み、ついで口を開いたのは弁慶だった。
「祓うことが、できるのですか?」
余計な修辞など、何も挟まない。ただ、目的を遂げるために、問う。いかな言葉を挟もうと、求めるものは変わらない。ならば問うまい。問うたところで、何になる。
「あなたは、この平泉を救う力をお持ちでいながら、手をこまねいていらっしゃるのですか?」
「おい、弁慶。さすがにそれは――」
「事実です」
あからさまに娘を追い詰める言葉を選んだ弁慶を九郎が慌ててたしなめるが、そんなこと、改めて指摘されるまでもなく覚悟の上である弁慶は退かないし、銀も白龍も、訳知り顔で沈黙を守っている。
「……神子様が復調なされば、すべては解決するのですか?」
そして、ようやく返された言葉はあまりに冷徹で、紡ぐ声はあまりに心もとなくて。
Fin.