夢追い人の見る夢は
一方的な自己紹介を終え、そのまま「夕餉を調えてまいりますので」と言い置いて廊の向こうに消えてしまったを追いかけたのは、譲だった。室内に残る他の面々に「方針に異存はないので、あとで決定事項を教えてください」と告げ、潔く身を翻したのは自分の立ち位置というものをよく理解しているからだろう。
譲は確かに、弓兵として得難い才能を有していた。だが、それと軍師としての才は、決して一致しない。集めた情報をふるいにかけ直し、明日以降の行動指針を決するのに、譲はおおまかな方向性さえ理解できていれば、細かな立案に口出しをするつもりもないし、そういったことは得手とする人間に任せてしまう方が得策だという割り切りも持っている。
「お前、帰ってそうそうどこに行ったのかと思ったら」
「……俺も、方針に異存はない。お前と敦盛がいれば、こちらからの情報は事足りるだろう?」
「そーゆー問題じゃないだろうが」
呆れを隠さず将臣が溜め息をつくが、対する知盛はどこ吹く風。苦言はすべて混ぜ返し、退屈だと言わんばかりのあくびさえこぼしてみせる。
「で? 結局、具体策は詰められたのか?」
「毛越寺の呪詛については、ちょうど下手人と鉢合わせたので、回収しています。こちらはおいおい望美さんに祓っていただくとして、先に川湊の怪異を確認した方がいいでしょうね」
「大社もあからさまに怪しいけど、あそこは立ち入り禁止だって話だからな。まずは、泰衡に話を通してみる努力をする必要があるだろ」
弁慶と将臣が続けざまに状況を総括するものの、問うたはずの知盛は興味なさげに「そうか」と相槌を打つのみ。
もっとも、それは方針と状況認識にさほどの異存がないからこその無関心。仮に知盛が判断を求められたとしても、同じように返すだろう。
「しかして、肝心の神子殿のご容体は?」
「……芳しいとは言い難い、といったところでしょうか」
けれど現実は想定通りになど運ばない。ゆえにこそ、あらゆる策が必要となるのだ。
帰ってそうそうに席を外したのは、知盛だけではなく弁慶も同様に。真っ先に望美のもとを訪れ、半日ほどの休養の成果を確認していたのだ。
「いかんせん、ただの病ではありません。龍脈の穢れによる不調となれば、龍脈の流れを正す以外に、望美さんと白龍が復調することは不可能です」
憂いを含む眼差しは真摯で、ゆるく噛み締められた唇は痛ましい。そして知盛はその姿に寒々しい感さえ覚える。弁慶の憂いの先が、徒人としての春日望美ではなく、白龍の神子という器に向いているのだと察すればこそ。
「後ほど、泰衡殿に祓いの可否について伺いを立ててみましょう。白龍の言っていたことも一理ありますし、僕らはあまりに無力です」
もしくは、と。言い切った言葉の後に呼吸をふたつ挟み、弁慶は唇を動かし続ける。
「何かと術に通じておいでですが、知盛殿にはお心当たりなどありませんか?」
向けられた視線は正面から見据えるようなことはせず、あくまで遠慮がちにうかがうのみ。その姿が本心ゆえだというのなら、口になど出すなというのが知盛の言い分。伺い立てにはたと表情を変え、縋るように向けられる幾多の視線が鬱陶しいことこの上ない。
「あいにくと、俺は術師としての才など持ち合わせてはおらん」
才ゆえにと身につけたのではない。人知れず、血の滲むような努力の末に、なんとか指先に掠め取ったのだ。
守りたかった。手を届かせたかった。泣いてほしくなどなくて、嘆かせたくなどなくて。その心に爪を立てるような真似など、したくもなくて。
だから、知盛が揮える力はひどく偏っていて、いびつなのだ。あまりに大きな対価を必要としすぎるし、あまりに限定的な範囲にしか影響を及ぼせない。
心底残念そうに溜め息を吐き出した九郎のことを責めるつもりは微塵もなかった。この男はどこまでも素直で、呆れるほどに裏がない。きっと、素直に望美の身を案じていて、縋れるものがあれば縋りたいと考えただけなのだ。力の行使には代償を必要とすることを嘆かわしいほどに理解できておらず、だからこそ責めようとも思い立たない。
「では、仕方ありませんね」
しかし、悲しげに首を振った弁慶のことは、どうしても許せる気持ちにならなかった。この男はわかっている。わかっていて問いただし、わかっていて利用しようとした。たとえその果てに待っている代償が知盛の命であったとしても、きっと気に留めもするまいに。
とにもかくにも、翌日から再度川湊の呪詛について調べに出ること、泰衡に望美と白龍の穢れを祓えないか打診しつつ、大社への出入りの許可を乞うことを確認して場は開かれた。それを待ちかまえていたのだろう。話の終盤から廊下にひそりと佇んでいた気配がおもむろに身じろぎ、声を張る。
「膳が調っておりますが、お持ちしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、ありがたい。お願いする」
柱の向こうから姿を現したのは席を外していたであり、応じたのは九郎だった。
「こちらに?」
「そうだな」
「では、配膳ぐらいはお手伝いさせていただきましょうか」
朗らかに頷く九郎を横目に腰を上げた弁慶は、の返答など待とうともせずに廊下へと足を踏み出す。
「望美さんも白龍も、食事はできそうでしたが、部屋を移させるのは少々忍びないですからね。あちらにお持ちしましょう」
その役は自分が請け負うからと言いながら、弁慶は慌てたそぶりはなく、けれどすぐさま踵を返して追ってきたに首から上を巡らせて笑う。
「お二方の分は譲殿が粥を用立てておいででしたので、詳細は譲殿に」
「ええ、そうしましょう。胡蝶さんは皆さんの分をお願いしても?」
「かしこまりまして」
手慣れた様子での振る舞いに齟齬はない。彼女は、仕えるという立場をしっかと体に叩き込んである存在なのだ。
「先ほどは連れ立っておいでだったが、胡蝶殿は知盛殿の縁者でいらっしゃるのか?」
あっという間に遠ざかった遣り取りにぼんやりと視線を向けてから、ふと思い立った様子で九郎が向き直る。その瞳には、純然な疑問の光しか宿らない。平家の重鎮が傍に連れるような女が、当たり前のように平泉総領の存在を出して名乗ったことへの猜疑など、微塵も映り込んでいない。
ゆえ、知盛がその問いに答えるまでにわずかな間を置いたのは、いつものように言葉を発するまでにひとつ呼吸を挟んだからでもなく、存在を秘すべきかと逡巡したからでもない。ただ、可能性を思ってしまったのだ。
「――筒井筒の君、だな」
いつかの鞍馬から出奔さえしなければ、目の前のこの青年のことも、そう呼んだのかもしれない現在について。
Fin.