夢追い人の見る夢は
市中に散っているという呪詛の手がかりは、呆気ないほどの展開で明かされていった。
なにせ銀という男、町の者からひどく受けが良い。噂話を集めたければ女を頼る方が男よりもよほど効率がいいのは京でも平泉でも同じらしいが、その女性陣からの絶大な支持を誇ればこそ、情報収集の効率が良くなるのもむべなるかなというもの。
奇妙な噂が集まるところには呪詛が絡んでいる、というあらかじめの弁慶の読みを否定する根拠など誰も持ち合わせていない。銀に限らず、八葉とて町を歩いてそれなりに情報は集めてきたのだ。そういった噂を分類し、さてひとつずつ現場をあたってみようかという段階になって、しかし。ひとつの、無視するにはあまりにも大きすぎる問題が持ち上がった。
しどけなく道端の木にもたれ、顔色を蒼褪めさせた姿はそれなりに艶がある。ああ、これも女なのだな、などと、柄にもなく感動を覚えたのも事実。けれど知盛の胸中は冷めていた。
「本当にごめんなさい」
「仕方ありませんよ。こんな状態の君に、無理をさせるわけにはいきません」
出かけたところまでは良かった。朝からいささか顔色が悪かったものの、当人が大丈夫だと言い張るのに流され、特に強い反対もしないまま高館を後にした。その結果が、予期せぬ道端での足止めである。
雪にはまだ早い。それでも十分に冷えた風の中、自力で身を起こしていることの辛い望美の傍らで膝を折っていた弁慶が、柔和な笑みを湛えたまま、反駁を許さぬ口調で続ける。
「とにかく、望美さんと白龍は高館に戻った方がいいですね」
「え? でも――」
「反論は受け付けませんよ」
同じく血の気を失せさせて座り込んでいた白龍からの異論はなかったが、望美は違った。力なく持ち上げられた碧の視線にきっぱりと言い置いて、弁慶はひどく思い詰めた様子さえみられる銀を振り返った。
「銀殿、望美さんを送って差し上げてください。それと、朔殿もご一緒していただけますか?」
「かしこまりました」
「皆さんは?」
名を呼ばれることを予測していたのだろう。間髪置かずに顎を引いた二人だったが、朔はそのまま首を傾げる。
「僕達はこのまま、呪詛の種を探してきましょう」
「そうだな。俺達だけでもできることがあるなら、なした方がいい」
弁慶の言葉にすぐさま同調したのは九郎。そして、そのまま視線をぐるりと一行に走らせる。
「だが、道中で何かあってはまずい。申し訳ないのですが、先生もお願いできますか?」
「任せておきなさい」
迷いもなく、九郎が呼んだのは誰よりも信頼を寄せているのだろう剣の師。こちらもまた迷う様子などなくすぐさま頷き、リズヴァーンは望美に手を貸している銀を見やると、白龍へと手を伸べてやる。
「白龍、これも、龍脈が蝕まれていることによる弊害で間違いありませんね?」
「うん、そうだよ」
有無を言わせぬリズヴァーンに抱きあげられたことで近くなった金色の双眸をじっと覗き込みながら、弁慶は一語一語を区切るようにして白龍に問いかけた。
「でも、呪詛は神子にしか清められない。清めるには、神子が負ってしまった穢れを取り除かないといけないのに」
いまのわたしには、そのちからがない。
悲嘆に満ちた声で喘ぐように絞り出し、白龍は縋るように身を乗り出す。
「ねえ、弁慶。泰衡は陰陽師なのでしょう? ならば、神子の穢れを祓うことはできないの?」
「そればかりは、ご本人に聞いてみないとわかりませんね」
言ってちらと銀を見やった弁慶は、返された目線に彼が何も知らないことを見てとり、ごく小さく溜め息を吐く。
「ですが、確かに有効な手段かもしれません。後で泰衡殿には文をしたためましょう。ですから、今は一刻も早く高館に戻って、しっかり休んでください」
一行の中で医療の心得のある弁慶が望美達と共に戻らないのは、戻ったところで意味がないことを誰もが了解しているからだ。くしくも白龍が訴えたとおり、望美と白龍の不調は龍脈が呪詛によって穢されていることが原因なのであり、気休め程度に薬湯を煎じることはできても、それは何の解決にも繋がらない。
「今の君達にできるのは、しっかり休んで、僕達が呪詛の種を見つけられた時に共に対処できるだけの体力を温存することです」
ぴしりと言い置いて、来た道を戻る背中を見送ってから、弁慶は改めて残った面々を振り返る。
「さて。では続きと参りましょうか」
「そうだな。ついでに怨霊も倒しておくか」
あっけらかんと応じた将臣へ「望美がいないんだ。封印はできないぞ?」と生真面目に返した九郎に、敦盛がおずおずと言葉を継ぎ足す。
「封印はできなくとも、龍脈を乱すことへの妨げにはなります」
「そうなのか?」
「怨霊も、呪詛と同じです。龍脈から理に反した流れで力を汲み取ることで、糧となしますから」
「よく知っていますね」
「怨霊のことをまるでわかってないんじゃ、平家ではやっていけなかったからな」
続いた解説に九郎と共に目を円くしていた譲は、さらりと混ぜ返す将臣の言葉に表情を複雑に歪めてしまう。
「そんな顔するなよ。こうして役立ってんだ。それでいいだろ?」
「将臣殿のおっしゃる通りだ。譲、あなたの心遣いはとても嬉しいが、そんなに気に病まないでほしい」
「敦盛がそう言うなら、いいんだけど」
穏やかで和やかなやり取りだ。あえて兄の名を出さない譲に将臣が「俺は?」とじゃれつき、それを親密さゆえに邪険な態度であしらう弟。かほどのものはないが、記憶というにはやわらかく、思い出というには味気ない過去への郷愁が、切なく知盛の胸の底で疼く。その感傷には、いつだって彼女がいる。
Fin.