夢追い人の見る夢は
わかっていないことはないと思っていたのだが、もしや失念しているのか。あるいはその想定の内に、知盛を入れていないのか。
将臣は平家において軍略への発言権を得始めた頃から、知盛をはじめとする諸将が目を見開くほどの鋭い洞察と、楽天的に過ぎる見落としを併せ持つ不可思議さに満ちていた。それがどうやら彼が聞き知っている何かしらの知識に基づいたものであるらしいところまでは察せているが、正体はいまだ掴めていない。よって知盛には、ありとあらゆる可能性を想定することしかできず、その想定に基づいて会話を推し進めるしか術がない。
「遠からず、ここは戦場となる」
息を呑む気配は数多に。けれど、それを数えることに意味はない。
「鎌倉はいい加減、腹の探り合いに厭いているはずだ。西に目を向ける必要もなくなり、口実も整った。舞台が調ったというのに、手をこまねく必要がどこにある?」
源平の諍いにおいて熊野とは違い完全な傍観者を決め込んでいた平泉は、鎌倉にとってある意味では取るに足らず、ある意味では耐えがたいほどの脅威であろう。
実戦経験の少ない兵など、烏合の衆。これまで平家との連戦を勝ち抜いたという自負があればこそ、今のこの士気の高さを利用すれば、実力以上の勢いをもって平泉を駆逐できる可能性が高い。一方、戦の続いた鎌倉には、そろそろ財力のゆとりがない。名馬の産地であり、大陸との貿易をもこなす平泉は喉から手が出るほど欲しい存在であり、野放しにすることで朝廷への貢物を強化されるわけにはいかない天敵なのだ。
水軍を出した時点で、熊野は鎌倉に対して敵対姿勢を示さないと明言したに等しい。だが、平泉はこれまで、例えば朝廷への寄進を鎌倉経由にせよと言っても聞かず、逆に鎌倉よりも財力があることを誇示することで己が独立を高らかに謳ってきた。残る道は、喰うか喰われるか。互いに雌雄を決するしかないことぐらい、知盛には読めている。
「どれほどお役に立てるかは、わからんがな。少なからずお力添えを、と、既に泰衡殿には申し出ている」
「返事は?」
「必要に応じて、お申し付けいただけるそうだ」
正確には、すでに要請は受けている。兵の調練にはじまり、軍略の実践的な部分への経験が絶対的に弱いという自覚が泰衡にあるのだろう。今の平泉に足りないもの、補うべき順序、犠牲にせねばならないもの。そういったものを徒然に語り合い、また近く席を設けたいと締めくくられて、伽羅御所を後にしたのだ。鎌倉方の攻め方など、九郎や弁慶に聞いた方がよほど細かな助言を得られるだろうに、あえて知盛に問うたのは外から見た意見が欲しかったのか、それとも意地なのか。そこまではさすがに量りきれない。格子の向こうからは、あからさまな衝撃に打ちひしがれた気配と、それを苦笑する気配とが滲んでいるのに。
「俺は、神子殿やお前とは違う、徒人だ。呪詛を祓うだのなんだのといったことは、できかねる」
「怨霊、祓ってたじゃねぇか」
「正規の術ではない。主には一門に係累のある怨霊に限って揮えるのであって、呪詛は祓えん」
「調子が悪かったの、やっぱりアレで無茶したせいなのか?」
きっと、これもまた腹のうちに溜めこみ、ずっと機をうかがっていたことなのだろう。意気込むように畳みかけられ、もう構わないかとあっさり知盛は顎を引いた。
「神子殿のように浄化したわけではなく、陰陽師のように調伏したわけでもない。荒ぶる魂を宥め、裡に取り込んでおいただけだ」
黒龍の逆鱗で蘇る怨霊は、水か木の属性が多い。ゆえに己の金気で克せる限り、五行を汲みあげるのと同じ要領で己が内に呼び込み、調和するのを待っていた。泰衡あたりが聞き知れば盛大に呆れかえりそうな荒業を行使していたにすぎないのだ。
とはいえ、将臣は決して陰陽術に関して明るくなく、つまりは知盛の説明もかろうじての理解が精一杯といったところ。わかったのかわかってないのか、眉間に皺を寄せて「ふぅん」と簡単に頷いてから、ひとつ頭を振って口を開きなおす。
「じゃあ、あてこめないってことか」
「……何か、させる気だったのか?」
「ちょっと、呪詛探しをすることになってさ」
悪びれた様子もなく頷いてから、将臣は知盛が出かけている間に決された事項について、かいつまんで説明を追加していく。
「銀が言うには、平泉には結構な数の呪詛の種がばらまかれているらしいんだ。で、白龍がその中でも大きいのがあと三つ残ってるっていうから、それをとにかく祓おうって話になったんだ」
「ゆえ、本調子ではない神子殿の肩代わりを、俺にやらせようと?」
「思ってたんだけどな。できないってンなら言わねぇよ」
無論、将臣の言葉に嘘はないだろうし、八葉の中にもそう考えるものはいるだろう。だが、それをもってなお、無茶をしてでも呪詛を引き受けろと言い出しかねない面子もいるだろうと、知盛は無表情の裏でひっそりと嗤う。その考えもまた、戦略としては正しい。だが、こうして“衆目”の中で八葉の一人である将臣が断言した以上、もはや堂々と言い出すわけにはいかなくなったに違いない。
「この先、平泉が鎌倉とやり合うだろうってのは俺達にもわかってる。だから、そのために協力はしたいし、きっとこの呪詛の種だって、鎌倉の仕業だろうって踏んでる。祓うのも、きっと平泉のためになるはずだ」
確かにそれは間違いない。だが、国主の了承をとらぬままの振る舞いは、いかに善意からのものとはいえ、余計な手出しにしかならないことを将臣はわかっていない。そのあたりの無遠慮さは、一門が棟梁の客人の身分から総領という身分へ納まったことによる弊害だろう。平家において、将臣はそのような面倒事を考える必要性に迫られたことはなかったのだ。
「つーわけで、お前も平泉のために働くなら、仲間入りな。呼び出しがかかった日は抜けてくれて構わねぇから」
悪気あってのことではない。よって知盛は致し方ないと溜め息をつきたい心持ちにはなっても、困ったものだと眉間に皺を刻むつもりはない。諭してやってもよかったが、無駄だろうという悟りもあったし、面倒だという思いもあった。気づいていないのか、気づいていて無視をしているのか。いずれにせよこれが神子一行の決定事項なのだ。あくまで徒人にすぎない身なのだからと、口出しをしない権利を振りかざすのが賢い選択。
「ご随意に」
目指す先は間違っていない。取り組む内容については、知盛にも異存はない。ただ、手順の踏み方の不器用さゆえに、きっとあの素直ではない総領殿のご機嫌を間違いなく損ねるというだけ。間に入る義理はあるまい。余計なことをして、余計な情報を漏らす危険性の方が、知盛にとってはその不機嫌さゆえに少なからぬ八つ当たりを受けることよりも、よほど都合が悪いのだから。
Fin.