夢追い人の見る夢は
わだかまった沈黙をいい機会とばかりに、知盛は背筋を正して視線を持ち上げた。
「奥州平泉が総領、藤原泰衡殿」
意識を引き締めてしまえば、後はいくらだとて仮面を取り繕える。一瞬にして平家嫡流として築き上げた粋とも呼べる己を纏いなおし、呼びかけるは目の前に座す青年の肩書へと。
「此度は、平泉への累少なからぬことを承知の上での願いを聞き入れていただき、まこと、心より御礼申し上げる」
言って深々と腰を折り、正しく額ずいて知盛は続けた。
「適う限り、なんなりとお応え申し上げる。ゆえ、今しばしの滞在に、なにとぞご許可をいただけるよう」
なんとも無茶な願いを紡いでいるという自覚はあった。どれほど迷惑なのかもわかっている。だが、今さらだろうというのも知盛の正直な感想なのだ。ゆえに、なんなりと応える心積もりがある。
九郎義経とともに逃亡した、という情報が流された時点で、たとえ知盛や将臣の身柄がこの地になくても、鎌倉方は都合よくその言い分を使うだろう。それは見え透いた戦略であり、ありふれた顛末だった。だからこそ平泉は覚悟を決めてくれたのかもしれない。もしくは、少なくとも“銀”を拾った時点で、既に覚悟は決めていたのかもしれない。
小さくも重い溜め息に乗って、知盛の後頭部に降ってきたのは「頭など下げられるな」という不機嫌さと戸惑いに揺れる言葉だった。
「たとえどのような対応をとっていたとしても、元服前に九郎が一時身を寄せていたという過去ゆえに、平泉と鎌倉との衝突は避けえなかった。なれば、御身がこのように頭を下げる必要などなかろう」
声に滲む苦々しさは、状況への苛立ちと、間違いなく知盛への八つ当たりが孕まれている。その証拠に、促されてしばしの間を置いてから頭を上げた知盛は、正面からいかにも不機嫌に睨み据えてくる泰衡の意外にも幼い拗ねた様子に、思わず表情がゆるみそうになってしまう。
「“銀”を見て、その点はとうにご納得いただけたものと思っていたが」
からかっているのか。試しているのか。馬鹿にしているのか。声に出されなかった内心の不満が表情から飛び出てくるようで、ついに知盛はほろ苦く息を逃してしまった。
「……いや」
無論、察することなどできていた。むしろ、そうでなければ徹底的に拒むなり、幽閉するなり、もっと違う手段をとれたはずだと知っている。けれど、あえて言葉にしたかったのは、それでもやはり不安と後ろめたさが拭いきれなかったから。
「それだけ、申し訳なく思っている……と、いうことだ」
たとえどうしようもないしがらみが既にこの優しい北国をがんじがらめにしていたとしても、そこに小さからぬ一石として踏み込んだ己を顧みずにいられるほど、無神経ではありたくないのが知盛の意地でもあったのだ。
もっとも、泰衡とてそんな知盛の言い分をまるで理解できないほど神経が図太くできてはいない。偽りなく、飾ることなく、思うところをいっそあどけないほど素直に曝け出した知盛に、戸惑いを隠しきれない複雑な表情を向けてくる。
「情勢は、既に奥州と鎌倉との衝突を避けえぬものとして確立してしまった。御身らの存在は、口実にはなれどきっかけではない」
武骨で、あるいは従二位の地位まで上り詰めた相手に対するには不躾な物言いであったが、その言葉はすべてが真理。
「朝廷はむしろ、鎌倉と平泉が潰し合い、疲弊することを望んでおいでだろう。平泉は遠く、戦火も京へは及びにくい」
「……まして、鎌倉殿は急激に力をつけすぎた。京の武力を一手に担っていた平家一門が藻屑と消えた今、それらに対抗する兵力を、朝廷は保持しておらん」
「源氏の兵力を削ぎ、蛮族と蔑む我ら奥州の財力と武力を削るまたとない機会。鎌倉にとっても、平泉は目障りなことこの上ないだろう。御身が気に病む必要など、まるでないのだ」
ふんと鼻を鳴らしてわずかに視線を逸らしながら言い放ったのは、照れ隠しでもあろう。ただ気に病むなと慰めるには、泰衡にとって知盛の存在は身近であり、立場ではなく年齢やら経験やらの違いを意識してしまう。けれど、今は互いの立場をもって向き合うべきであり、なれば泰衡は知盛の上に在る。その矛盾への最大限の譲歩なのだと、そして察せない知盛ではない。
ほろりとこぼれた淡い微苦笑を他人事のように見送って、知盛は表情を偽ることなく曝け出してみる。
「対価を、求められよ。現状と、それゆえの顛末と、これまでのご厚意に見合うほどの」
己で判じて用立てることも、できないではない。だが、そうして予測したものが本当に泰衡にとって価値を持つかまではわからない。ゆえに知盛は求める。要求してくれと願い出る。
「俺は、総領殿の求めるものを、恐らくは保持していよう?」
そう、きっとこの予感は当たっている。泰衡は物など求めない。財に恵まれ、才に恵まれ、何かを覚悟してこのありえないほどの険しい道を選んだのなら、彼が真に欲しているのは無形の財産。戦うための、ありとあらゆる術に他なるまい。
だが、こうして予感する対価を支払うには、求めてもらわねばならないのだ。そうでなければ、すべては単に余計な手出しとなり、泰衡の邪魔となる。それでは本末転倒だ。
言葉にしなかった知盛の思惑を読みとったのか、泰衡の瞳が苦々しげに歪み、けれど確かに安堵の色を滲ませる。
「相変わらず、嫌な御仁だ」
呟きは、忌々しさに縁取られた皮肉気な喜びを宿していた。
Fin.