朔夜のうさぎは夢を見る

夢追い人の見る夢は

 別に動けないほど調子を崩したわけではないという望美の自己申告によって、一行は早々に、自らの足で中尊寺を後にした。白龍と朔、譲に付き添われて集団の中心を歩く望美のことをちらちらと気にした様子をみせつつ、銀の案内は淀みない。行きよりは時間がかかったものの無事に高館に到着し、門前にて銀は深々と腰を折った。
「お傍に控えたいとは存じますが、私はこれより、泰衡様の許へ戻らねばなりませんので」
 いかにも心苦しそうに眉根を引き絞り、重ねて詫びを告げられて望美は慌てて笑みをかたどった。
「大丈夫。今日は、もう休ませてもらうつもりだし」
「後ほど、何か滋養のあるものなり、お持ちいたしましょう」
「そんなに気を遣わなくても、大丈夫だよ?」
 望美はあくまで明るく返すのだが、銀の表情は晴れない。このままでは埒が明かない不毛な時間が流れるばかりだろう。だが、下手に強引な終わらせ方をするには銀の不安は本物であるようだったし、望美はこの手のやりとりに対して生真面目に過ぎる。


 小さく息を吸い込んで、だから知盛は前後の会話など一切無視して端的に用件を切り出した。
「柳ノ御所に用向きがあるゆえ、外させていただくぞ」
 延々と終わりの見えないやりとりに付き合っているほど暇ではないし、気長でもない。意外さと驚愕と。とにかくこの予定については特に誰にも告げていなかったため、突き刺さる視線にはどれもこれも疑問の色が少なからず乗せられていたが、答えてやるつもりもない。
「場所は知っている。泰衡殿にお約束した刻限も近い。勝手に赴かせてもらうゆえ、お前は職分を果たすといい」
 唯一、おとなう先である泰衡の配下として事情を知っていたらしい銀がいささか焦りの表情を見せるが、別に知盛は道案内など必要としていない。言うだけ言ってきびすを返せば、さすがに追いかけるべく先までの不毛な会話を断ち切ることに成功したらしい銀を、今度は弁慶や将臣が逃そうとしない。
 余計な情報が漏れるだろうという予感はあった。だが、どうせ遠からず露見するだろうとも予見していたのだ。その場に居合わせずにすむことも、先んじて手を打てることもありがたいことこの上ない。ゆえに、この機会を逃すわけにはいかない。
 そう遠くないはずの記憶が、ゆるゆると刺激されてもどかしい。
 ようやく会いにいける。こうして踏みしめる一歩一歩が、あの娘への距離を縮める。
 けれど知盛にはわからない。あの娘に会った時、さて。どんな言葉をかけ、どんな表情を向け、どのように振る舞うべきなのかが。


 もっとも、思い悩む間にさえ足を動かし続ければ、近くはない距離でもいつしか目的地へと到達しているものだ。中途半端に追いかけることを諦めたのか、それとも解放してもらえなかったのか。結局、銀は追いついてこなかった。
 あえて正面を避けて門兵に名を告げてみれば、わざわざ正門へと案内されてしまった。遠い記憶で知る限りは確かに、平泉を治める藤原秀衡氏はいかにも豪胆な人物であったが、その心意気は立派に総領に受け継がれているらしい。平家の人間を匿うばかりか、正規の客分として扱うのだと隠さず示すことなど、なまなかな覚悟ではできまいに。
「ご一緒ではなかったのか」
「神子殿方に説明するのは、面倒だったゆえな」
 通された客間にて、磨き抜かれた床板の鳴る微かな音に代わって背中から響いたのは、ごく唐突な問いかけだった。
「代わりに置いてきたと?」
「それも、言い含めておいでだったのでは?」
「やはり見越しておいでだったか」
 低く喉を鳴らしながら再開された小さな音が知盛の脇を通り過ぎ、正面の上座にて消える。
「ご不快に思っておいでか?」
 衣擦れの音のみを伴って腰を下ろし、見据えてくるのはぬばたまの双眸。夜闇よりもなお深い。きっとこの色をこそ、漆黒というのだろうと知盛は昔から思っている。


 やはり問いかけは唐突だったが、諒解して言葉を返せないほど知盛は疎くないつもりだったし、符牒はあまりにもわかりやす過ぎた。
「拾った犬をどう扱おうと、それは拾い主の自由」
「はぐれた狼は群れに返すべきかとも」
「群れは、潰えてしまったゆえな」
 溜め息交じりになってしまったのは、彼の前では虚勢を張る必要がないと判じたためだ。
「アレも、俺も、還内府殿も……御身に拾われた、ただの野犬だ」
 こうして彼の瞳が痛ましげに歪むところを知っている自分だからこそ、疲弊に濡れた声を取り繕う必要性など感じなかったのだ。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。