夢追い人の見る夢は
思いがけない地で、思いがけない人物の知られざる交友関係を目の当たりにしたという好奇心が疼かないではなかったが、部外者の退場を待ってすぐ、望美らにはなすべきことがあった。
「望美さん」
「わかってます」
促すように名を呼ばれ、心得た調子で望美は顎を引く。
「銀、それを貸して」
「御心のままに」
凛と告げる声に応えて青年が恭しく差し出した石片を、望美は何の迷いもなく掴みとる。ただ、無造作に触れるだけ。それだけで、呪詛の根源はただの石の欠片へと変貌する。
「白龍、これで少しは楽に――」
呪詛さえ解いてしまえば、もはや石片には何の用もない。そのまま銀の手の内へと返し、問いながら振り向く声が途切れたのは八葉にとっても神にとってもいかにも予想外の展開。しかし、傍らにて控えていた銀が当然のように、くずおれたその身を抱きかかえたのだ。
当人としても理解が追いついていないのだろう。きょとと見開かれた碧眼は、驚愕を伝えはするものの疑問さえ浮かべていない。困惑にすら、思考回路が到達できていないのだ。
「どうぞ、ご無理はなされませんよう」
「……え?」
「呪詛を祓われたばかりなのです。お休みになられませんと」
「休む、って、でも?」
弱々しく反論する言葉には答えず、小さく「失礼いたします」と断ってから銀は望美を横抱きに持ち上げてしまった。
「皆様方も、どうぞ本殿へとおいでください」
あくまで慇懃丁寧に提案する口調でありながら、銀の声には否定を許さぬ強さがあった。それは、いかにも従順な郎党としての姿しか見せなかった青年の、予想外の威厳と貫録。
「しばし、お休みいただく方がよろしいかと思われます」
言ってぐるりと巡らされた双眸は、どこからどう見ても支配者として立つべき人種の光を灯している。
勝手知ったる様子で本殿の一角へと望美を運び、銀は「しばらくお待ちください」と頭を下げてからどこかしらへ去ってしまった。下手に移動するわけにもいかず、とりあえずとばかりに弁慶が望美の容体を確認するものの、特に要因は見えてこない。
「困りましたね」
呪詛を祓った経験も何度かあるが、このような事態に陥るのは初めてのことである。何がどうなっているのか、困惑して黙りこくるしかできない一同の許に、足音もなく銀が戻ってくる。
「お待たせいたしました。白湯を、ご用意いたしましたので」
言って真っ先に望美に椀を握らせ、それから全員へと白湯を配ってから、銀は部屋の下座で膝を折った。
「お辛いようでしたら、車の手配をいたしますが」
「え? いいよ、そんなの。きっと、ちょっと貧血起こしただけだと思うし」
「銀殿は、望美さんのご不調について、何か心当たりがあるんですか?」
丁寧に、丁重に。望美を白龍の神子と知って礼節を尽くしているにしてはいささか度が過ぎた感もある様子にすかさず弁慶が口を挟めば、銀は逆に目を見開いてしまう。
「呪詛に触れられたのですから、神子様が穢れを負われ、ご不調となられるのは当然ではありませんか?」
「その、世の理を凌駕するのが、龍神の神子という存在なのですがね」
ある意味では期待通りであり、だからこそ新しい情報を得たかった弁慶にとってあまりにも残念な回答。つい愚痴めいた言葉を返せば、今度こそ想定外の言葉が銀の唇から零れ落ちる。
「お言葉ですが、弁慶様。ここは奥州平泉。京を守護せし応龍の加護は、この地までは及んでおりません」
何を当然のことを、と。表情こそ多少の怪訝さを滲ませるのみでろくに動かなかったが、丁重に選ばれたのだろう言葉をもってしても、通じない会話に少なからず銀が苛立ちを覚えたらしいことは明白だった。
「京の龍脈の化身たる龍神の加護があれば、確かに、かの地や京にゆかり深き地、ゆかり深き人々に纏わる浄化は、神子様にさほどのご負担をおかけしないのやも知れません。ですが、この地の龍脈も京の龍脈と繋がっていることはあるでしょうが、同一ではないのです」
「では、龍神の加護の薄い地であるがゆえに、望美さんに過度の負担がかかっているというのですか?」
「私は陰陽師ではありませんので、はきとお答えすることはできませんが」
理路整然と織りなされる説明を紡いだ張本人としては謙遜が過ぎる前置きを挟み、銀は望美達の知らなかった平泉の事情を告げる。
「これまで、各地にて見出された呪詛の種を祓うには、幾人もの僧による昼夜を問わぬ読経を必要としておりました。それほどの呪詛を、触れただけで祓われた神子様に、何のご負担もないとは考えにくいと存じます」
聞き知った事情への驚愕ゆえに、一行に気付いた者はいなかっただろう。その驚愕をこそ、深紫の双眸がひどく冷やかに見やっていたことを。
Fin.