朔夜のうさぎは夢を見る

夢追い人の見る夢は

「もしかして、知り合いですか?」
 会話をする際には基本的に相手に向きなおるのは、望美の癖であり美点である。ゆえに彼女の目には、その問いに実に皮肉な笑みを刻んだ弁慶の口許は映らない。
「知盛殿とおっしゃると、やはり、平家の新中納言様でございましょうか?」
「えっと、はい」
 僧らを代表して口を開いたのは顔色を変えなかった一人であり、ずっと望美を口説き続けた筆頭の人物でもある。装いからして最高位の僧なのだろうと判断していたのだが、物腰も柔らかく、問いかけに対して敦盛が頷くのをちらと横目に見やってからやっと応じた望美に嫌な顔ひとつ見せない。
「なれば、こちらが一方的に見知っているだけでございますな。こちらは、叡山にゆかりの僧も多くおりますので」
「叡山っていうと、弁慶さんのいたところですよね? 何かあるんですか?」
 聞き知った単語をきっかけにくるりと振り返れば、そんな行動などとっくに予想していたのだろう。落ち着き払った苦笑を浮かべ、弁慶は淀みなく口を開く。
「叡山には僧兵が多く、騒動も少なくなかったものですから。知盛殿は、そんな小競り合いの鎮圧で、よく指揮を執っていらしたんですよ」
 あっけらかんとした説明に目を円くした望美がもう一度僧らを振り返れば、今度は気まずげに視線を逸らすいくつもの双眸が見受けられる。
「それに限らず、平家の方々は仏門から目の敵にされがちですけどね」
 そのままさらりと続けられた言葉こそは実に意味深いものだったのだが、望美は弁慶が孕ませた痛烈な皮肉に気付かない。痛ましげに表情を歪めた敦盛を気遣わしげに見やり、いじめてくれるなとの意をこめて弁慶を軽く睨む。
「知盛殿にもお気遣いいただいたことですし、ここはひとつ、互いに見ぬふりをなさってはどうでしょうか?」
「無論。我らは山門の一派といえ、叡山のやりようは目に余ると思っておりました。一方的な糾弾は、ただ見苦しいだけの身内びいき」
 言って気まずげな僧らをちらと見流し、高僧は改めて穏やかに微笑んだ。
「この季節であれば、庭もまた楽しんでいただけましょう。どうぞその間、神子様方は中をご覧ください」
 導く動作は実に洗練されており、どことない支配力も醸し出している。


 なんだかんだと協議の結果、さすがに人数が多いとのことで幾人かずつに別れての自由行動とし、望美が朔、譲、九郎と共に丁重な案内を経てから連れていかれた庭では、しかし何とも不穏な火種がくすぶっていた。
「白龍!?」
 望美を加護する龍が、地面にうずくまって弁慶に付き添われていたのである。
「どうしたの? 弁慶さん、何があったんですか?」
「僕も、呼ばれたばかりですので」
 慌てて駆け寄り、覗き込んだ顔色の悪さにそれこそ血の気を引かせながら望美は弁慶を振り返るが、困ったように首を振られてしまう。
「俺らが見つけた時には、こうだったからな。とりあえずと思って弁慶を呼んだんだけど、望美でもわかんねぇか?」
「わかんないよ」
 望美と向き合うようにしてしゃがみこんでいる弁慶の隣から将臣も弁明交じりの状況説明を紡ぐが、事態はまるで進展しない。
「白龍、白龍どうしたの? 何があったの?」
 気休めにすぎないのだろうと察しつつも背中をさすってやりながら、望美はなんとか事の因果を見極めようと言葉を重ねる。


 衣の胸元をきつく握りしめて俯いていた白龍にも、己の神子の声は届いたのだろう。苦しげに表情を歪めながらも視線を持ち上げ、悲しげに、掠れた声を絞り出す。
「龍脈が、穢された」
「穢された?」
「土地の五行が穢されて、その影響を受けた、というわけですか?」
 端的な言葉だけでは状況を把握しきれなかった望美が問い返す声を、反対にそれらの単語から状況を大まかに推測したらしい弁慶の声が追いかける。いかにも苦しそうな白龍にあまり長々と話をさせるよりもと望美が改めて弁慶を振り返れば、思案気な表情で確信に満ちた言葉を継ぎ足していく。
「白龍は、龍脈の化身である応龍の陽の半身です。そのものである京の龍脈でなくても、土地の龍脈の影響は少なくないのでしょう」
「そうなの?」
 おろおろと望美が再び白龍を振り返れば、弱々しい声音で「うん」と呟いてから金色の双眸が持ち上げられる。
「神子、ごめんなさい」
「え? そんな、白龍が悪いわけじゃ――」
 涙に濡れ、頼りなく揺れる瞳は実に痛ましい。土地の五行の影響を受けるのは、望美も似たようなものである。当事者だけではどうすることもできず、もはや運次第という側面もあるのに謝る必要はない。そう思って慌てて否定を紡ぎかけるが、言葉が中途に途切れてしまう。
「……マジかよ」
「ごめんなさい」
 私はまた、神子を守れなくなってしまった。悲しげに紡ぐ声は細く高く、将臣の呻き声は場に居合わせる誰もの思いの代弁。光に包まれて再度その場に姿を現したのは、先までの青年の様相からはまるで想像もつかない、いとけない幼子であった。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。