夢追い人の見る夢は
今さらながらに譲はぞっとする。将臣の負った名と、立った場所と、貫いた覚悟の危うさに。
藤原秀衡、泰衡親子の思惑がどこにあるのかはわからないが、確かに今すぐ将臣や知盛が害されることはないだろう。むしろ、厚く遇されることの方が理解できる。彼らは非常に危うく、しかし何より貴重な手札なのだ。
平家一門の武の側面こそを象徴する二人がいれば、源氏勢からの怨嗟と憎悪は深く募り、九郎や二人の神子へ切っ先を向けることへのためらいさえも軽く凌駕するだろう。だが、同時に取引材料としてこの上なく有効でもある。
もし九郎を本気で守りたいのなら、朝廷から何がしかの宣旨を勝ち取ればいい。それこそは何よりの大義名分となり、何よりの盾となる。それが難しいなら源氏方へ平家の重鎮を引き渡すことで九郎を見逃してもらえる可能性もあるし、そういった材料にことごとく使えなかったとしても、戦力として有効活用するに不足のない人材だ。
「お前が不安に思う気持ちも、わからんではないがな。御館と泰衡殿が受け入れるとおっしゃっているのに、俺や弁慶が氏を理由にあの二人を害すはずもないだろう?」
穏やかに微笑む九郎に偽りの気配は感じられない。その言葉のすべては、九郎の真実。だからこそ譲は悲しくなる。譲の知る史実において、源義経は奥州藤原氏によってその命を売り渡されたというのに。
弁慶の見立てによると、知盛は疲労が募りすぎて昏睡しているとのことであった。
無理からぬ、というのが誰もの反応。ただでさえ隠密の道中であったのに加え、彼にしてみれば共に行くのは敵対勢力の面々。その中で、ひたすらに将臣を守って平泉へ延びるのだという姿勢は、嫌味さを感じさせないほどに懸命でまっすぐだった。
もはや、源氏か平家かという括りは少なくとも一同にとってさほどの意味を持たない。つまるところ、全員が鎌倉によって追い立てられる獲物なのだ。平泉に身を寄せた時点で、庇護をもたらす藤原氏からはいっしょくたに扱われてもいる。それはそれと認めながら、けれどかたくななまでに将臣は源平の一線にもこだわり続けた。
しばらくゆっくり休ませ、自力で回復してもらう以外に方法はないのだと告げられて、まず将臣が宣言したのは一切の世話は自分がみるということ。食事の準備をすることはできないが、汗を拭い、衣を取り換え、傍につき続けると言い切った。
弁慶は手伝いを申し出たし、事情を知った泰衡からは銀を通じて世話役の下女を与えようかという打診もあった。それらに対して、将臣はただ「申し訳ないから」「自分で事足りるから」と頑として首を縦に振らなかったのだ。
確かに、それも一理あろう。将臣とて還内府として平家の頂に立っていた身。人手を割くことの重みは十分にわかっているだろうし、ただでさえ厄介な客分であることへの自覚もあるだろう。だが、それだけではあるまいというのが誰もの解釈だ。
いまや自衛の手段のすべてを手放してただ昏々と眠ることしかできない無二の存在を、何としても守らんという覚悟なのだと。
とはいえ、疲労困憊していたのは知盛ばかりではない。道中、ずっと気を張り詰めていたのは誰もが同じこと。負担の具合も違ったが、それがどれほど影響するかがはきと連動しているわけでもない。
ほぼすべての道程においてしんがりを務め続けたにもかかわらず、リズヴァーンと敦盛には特に疲弊している様子は見られない。誰よりも優先して休息を取らせてもらっていたとはいえ、望美と朔はなかなか調子を戻しきれずにいる。
厚意に甘えるというよりはむしろ、どうにもならない現実として。まるでつい先頃までの熊野での日々を再現するかのような時間を経て、事態はようやく軋み音を上げはじめる。
「――清浄なる地、で、ございますか?」
ただじっとしているばかりなのは飽きたと、その日から望美は庭で行われていたリズヴァーンと九郎の鍛錬に参加しはじめたのだが、どうにも動きが鈍い。しかも、しばらく実戦を離れていたがため、というものではなく、精彩にかけるがゆえに。
大丈夫だと言い張る望美をよそに、九郎は顔色の悪さを指摘するし、リズヴァーンはならばどこか気の澄み、調った場所に赴いてはどうだろうかと提案する。そこにちょうどよく泰衡から九郎らの身の回りの様子うかがいを命じられて毎日顔をみせる銀がやってきて、先の言葉へと繋がるのだ。
唐突に「このあたりでどこか、気の調った清浄な場所はないだろうか?」と問われたにもかかわらず、特に何を問い返すでもなく、しばしの黙考の後に銀は穏やかに微笑んだ。
「なれば、中尊寺がよろしいでしょう。山自体が力ある霊地と聞いておりますし、紅葉も見ごろにございますれば、神子様方のお心をお慰めできるものと」
「え? で、でもでも、本当に何でもないし」
「いや、ちょうどいい。いきなり鍛錬などと欲張らず、まずは体を動かすことからはじめるべきだ」
気づけば勝手に進んでいく話に慌てて望美が口をはさむも、対する九郎はまるで会話にならない言葉を返すのみ。九郎は自分の味方にはなってくれないと踏み、今度は銀へと視線を巡らせるものの、こちらはふいと視線を伏せてしまう。
「神子様方がお元気になられましたら、この平泉の素晴らしさをぜひにお伝えしたいと思っておりましたが、ご迷惑だったのでしょうか」
「そんなことないよ!」
心底悲しげに沈み切った声音で呟かれ、反射的に否定を返してしまってから望美は「しまった」と気づく。否定を受けて顔を上げた銀が、実にいい笑顔で顎を引くのだ。
「では、どうぞご案内をお命じください」
「ああ、そうだな。他の皆にも声をかけてくるから、少し待っていてもらえるか?」
「牛車のご用意はご入用でしょうか?」
「いや、歩かせてもらおう」
「承知いたしました」
そのまま九郎と銀の間で望美の中尊寺行きは決されてしまった。館の中にいる残りの面々に声をかけるために踵を返しながら、九郎は「準備をしておけ」とだけ言ってさっさと立ち去ってしまった。
Fin.