夢追い人の見る夢は
銀に付き添われて帰ってきたという望美、九郎、弁慶の三人は、先まで訪れていた女と少女には遭遇しなかったらしい。正体のわからない客人について言及されることはないまま、目を覚ますまでついているのだと言ってきかない将臣を除いて適当な部屋に集まり、一服しながら現状についての認識合わせへととりかかる。
「御館は、俺達のことを受け入れると言ってくださった」
奥州藤原氏と己の関係について簡単な説明を挟み、九郎はしみじみと言葉を噛み締める。
「いずれは何かしらの形でご恩に報いたいと思うが、今はとにかく、体を休ませることが先決だろう」
「そうですね。この先、どのような形で僕達にご恩返しができるかはわかりませんが、まずはきちんと動けるようにならないと」
九郎も弁慶も当たり障りのない言葉を選んでいたが、一同には彼らが何を危惧して口を揃えるのかぐらいわかっている。そして、おそらくは同じ危惧を抱けばこそ、九郎達が挨拶に出向いたという藤原家棟梁、秀衡も同じように見返りの要求はさておき、休息を取ることを勧めたに違いない。
予見できる未来は決して明るくない。誰もが緊張感に神経を少なからず尖らせるのを振り払うように、弁慶がいかにも芝居がかった口調で「さて」と口を開きなおす。
「では、僕は知盛殿のご様子をうかがってきましょうか」
帰邸した三人には、まだ誰も知盛が倒れた真因を告げていない。ただ、倒れたという事実と、将臣が付き添っているという現状を伝えてあるだけだ。
彼女には関与を明かすなと言われたが、すべてを明かしてしまうべきなのだろうか。もし彼女の言い分を呑むのだとしても、不調の原因ぐらいは伝えておくべきか。それとも、何もかもを飲み込んでおかなくてはならないのか。
判断を下しあぐねて思わず目を見合わせてしまった譲、敦盛、朔とは対照的に、リズヴァーンは常と同じ無表情を崩さないし、白龍は意に介した様子もない。
「御館も泰衡殿も、ぜひにご挨拶をとおっしゃっていましたしね。すぐにお会いすることが難しいなら、その旨をお伝えしないといけません」
なんとも歯切れの悪い空気をきちんと読み取ったのだろう。一刻も早く目を覚ましてもらうなり、不調の原因なりを把握せねばならないのだという事情を言い置いて、弁慶はさっさと御簾を上げて部屋を後にしてしまう。
「敦盛」
誰が何を言う隙もなく去ってしまった弁慶を追うように、揺れる御簾をぼんやりと眺めていた譲は、九郎が苦笑交じりに発した呼びかけの声につられて視線を巡らせる。
「そう、気を張らなくてもいい。御館も泰衡殿も、すべてをご存じだ」
「……すべて、というのは、」
「還内府の絡繰りも、知盛殿が同道なさっていることも」
宥めるような口調はひどく穏やかだったが、敦盛はますます警戒心に身を強張らせていく。それを見ながら、譲は自分が忘れていた、将臣の纏うもう一つの名の意味にようやく思い至る。
「その上で、受け入れると言ってくださったのだ。平家には恩があるし、還内府と新中納言の助力を得られればこの上ないと」
譲の知る歴史において、頼朝が奥州へと攻め入った大義名分は『謀反人である九郎義経を匿っていること』であった。無論、それは源氏軍にとってとても大きな理由だ。だが、それだけでは士気の上がらない兵士もいよう。
奥州には、今、九郎と共に“源氏の神子”らがいる。少なくとも平家との戦乱を共に駆け抜けた兵達にとって、九郎も望美も朔も、この上なく頼もしい味方だったはずだ。
奇抜な戦術にて勝利をもぎ取る大将を仰ぐ瞳は、どれも本物だった。
刀でも弓でも太刀打ちできない怨霊を封じて歩く黒白の神子への尊崇の念は、ともすれば一種の呪縛でさえあった。
その相手に、たとえ謀反人という肩書がついたところで、安易に刃の切っ先を向けられるだろうか。
理性では割り切れるだろう。ゆえに誰も、壇ノ浦から撤退する九郎につき従う兵がいなかった。しかし、いざ攻め入るとなれば理性による判断を感情が邪魔し、それをさらに理性が補填してしまう。
彼らは九郎や望美、朔にこそ助けられた戦場を知っている。彼らの強さも、彼らが神の加護を与えられていることも。
たとえて言うなら、それは神そのものに対して牙を剥くようなものだ。彼らにとっての身近な感覚で言えば、神子という後ろ盾のないまま怨霊に対峙していたのと大差ないだろう。
では、平家と相対した際、その絶望的な隔たりをねじ伏せていたのは、何か。
「各所からの憎悪を買うことの重みを、承知の上で?」
「それさえわからぬ方々だと愚弄するのか?」
震える声で敦盛の紡いだ問いかけこそが、その答え。糾弾するように語気を強めた九郎の信頼こそが、譲の危惧。
還内府や新中納言個人への評価など、この際どうでもいいのだ。問題は、平家一門が各所からの恨みをあまりに多く買い過ぎているということ。
平治の乱を発端にもはや解決する日など見えなくなった、源氏からの憎悪。
南都焼き打ちをきっかけに同情的な声など微塵もなくなった、寺社勢力からの怨嗟。
戦乱に巻き込まれ、怨霊に跋扈された平民からの嫌悪は根強く、結局行方があやふやなままの三種の神器を是が非でも取り返したい朝廷は、一門の中枢の事情を知る存在を決して諦めないだろう。
Fin.