朔夜のうさぎは夢を見る

夢追い人の見る夢は

 とにもかくにも、目を覚ますまでは寝かせておくしか手はない。「俺、看とくから」と自分が抜け出した褥を整えなおし、その中に知盛を横たえてから将臣は枕辺に陣取っている。リズヴァーンが先の娘に約束した以上、下手に館の中をうろつくわけにもいかない面々もまた適当に腰を下ろすが、なんとも妙な心地である。
「なあ、白龍。さっきのことなんだけど」
 目を細めて天を仰ぎ、恐らくは己が神子の様子に感覚を傾けていたのだろう。にこにこと沈黙の時間を満喫している白龍に、声をかけたのは譲だった。
「どういうことなんだ? その、知盛さんは、過労で倒れたわけじゃないのか?」
 採光のために開けられた半蔀の向こうにある兄の後頭部をちらと見やり、声を潜めた譲は、先ほどは口をはさめなかった状況についての説明を乞う。
「死した陰気だのなんだのって、俺にはまったくわからないんだ」
「死した陰気がわからないのは、正しいよ。だって、あなたは生きているもの」
「いや、だからな。そういうことじゃなくて……」
 なまじ言葉が通じてしまうため時に見落としがちになるが、白龍はあくまで神であり、譲とは次元の違う意識の持ち主なのだ。感覚も、常識も、何もかもが異なる。そのことを思い知らされるたび、譲は先の将臣と同じ種類の苛立ちに身を焦がされる。


 とはいえ、そのことを詰ってもどうしようもない。それこそ言葉が通じるのは幸いとばかりに、譲は自分の言わんとしていることを正しく伝える努力に着手する。
「知盛さんは、どうして倒れたんだ?」
「陰気に呑まれたからだよ」
 ひとつずつ、的を絞って順に問いかければ白龍もきちんと譲の欲する答えを返してくれる確率が上がる。まずはと思って最初の疑問をもう一度投げかければ、不思議そうに小首を傾げながらも白龍は淀みなく舌を動かす。
「取り込んだ陰気を、御しきれなくなったんだ。だから、呑まれて、溢れさせた」
「じゃあ、その溢れた陰気っていうのが、さっきのアレか?」
「うん。そう」
 白龍は実に何気なく頷いてくれたが、確認のために言葉を紡いだ譲は背筋が凍るような怖気に襲われる。
「あんなものを、知盛さんはずっと抱え込んでいたっていうのか?」
 誰に何を悟らせることもなく、譲達に立ち入ろうともしなければ必要以上の接点を持つことをひたすら厭う様子ばかりをみせていた裏側で、あの絶対的な畏怖の塊をただひたすらに呑み、抑えていたというのか。
 思い返してもそのような素振りはまるで見当たらない。なんと強靭な精神力なのかと、譲は小さく息を呑む。しかし、神の暴く真理はまだ終わらない。
「怨霊を受け入れるというのは、そういうことだもの」


 ああ、そういえばそんなことを言っていたかもしれない。死を取り込むと、黄泉の息吹と。では、彼はどこで、どんな場面においてそんな突拍子もないことをしでかしたのだろう。
 改めて振り返ってみれば、何も不思議などないのに。
「お前は、知っていたのか?」
「うん?」
「お前は、先輩の代わりに知盛さんが怨霊を鎮めるのが、こんな事態に繋がるって、知っていたのか?」
 由縁のわからない激情に震える声を極力穏やかに保とうと努力しながら、譲は問う。
「うん」
 そして、神の答えは淀みない。
「知盛は徒人。神子や八葉とは違う」
 神の加護なくして神子の真似事をしたのだから、代償は当然の報いだよ。
 感情の揺らぎの伴わない声に、譲はただ呆然と、対峙するこの青年が決して人ではありえないことを痛感する。


 返す言葉を失って譲が黙りこんでしまえば、場には何とも言い難い沈黙だけが落ちる。けれど、それもそう長い時間ではなかった。
「あ、神子だ!」
 ふと弾かれたように視線を巡らせ、嬉しそうに言って白龍が床を蹴る。その行動を裏付けるように門の方角から「ただいまー」という朗らかな声が響き、邸内の空気が明るさを取り戻す。
 常ならばすぐさま白龍の後を追っただろうに、今ばかりは動き出せない譲に、そっと声を落とすのはリズヴァーンだ。
「知盛は、すべてを知った上で覚悟していただろう。我らには、何を言うことも許されていない」
 言い聞かせるというよりは宥める色味の強い声音に、譲は深く息を吸う。
「……わかっている、つもりです」
 ただ、心にわだかまる釈然としない思いが、どうしても切り捨てられないだけで。

Fin.

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いらっしゃらないとは思いますが、無断転載はやめてください。