夢追い人の見る夢は
「おい、お前、大丈夫か?」
「大丈夫、とは?」
「俺にぐらい隠すなよ」
素知らぬ風情でしんがりから二番目を歩きながら、知盛は声を低めて投げかけられた将臣の問いかけに内心で盛大に舌打ちをこぼす。気づかせるつもりはなく、それが限りなく困難であることも自覚していた。しかし、改めて指摘されれば己の不甲斐なさがいっそう際立つようで、やはり虫の居所が悪い。
「やっぱりアレ、しんどいのか?」
「……慣れぬことなのは、確かだが」
重ねて問われた内容こそは正鵠を射ている。のらりくらりと誤魔化しきることは不可能だと判じて、知盛は仕方なく顎を引く。
「他に、案があるのか?」
そして釘を差すことも忘れない。その釘に、将臣が言葉を飲み込むことを正しく予感していればこそ。
「そりゃ、まあ、そうだけどさ」
「では、致し方あるまいよ」
「仕方ねぇって、それですむ話なのか?」
「すむ、すまないではない……すませねば、辿り着けん」
そういうことだ。短く、低く、有無を言わせる隙など微塵も残さず断言すれば、今度こそ将臣は無言のままに開きかけた口を噤んでしまう。
すむかすまないかと、そう問われれば“すまない”のだ。指摘などいちいち受けるまでもない。知盛は、自分がもはや限界を軽く踏み越えていることを、自覚している。
倶利伽羅を離れてだいぶ経った今でこそ怨霊の出現頻度は落ち着いてきたが、披歴してしまった力の存在が、一行の中での役回りの均衡に与えた影響は無視しえなかった。無論、そうなることを予感し、危惧していたというのも知盛が力を明かしたくなかった一因である。
本来の負うべき役目と矛盾していると、そう声高に指摘をするのも面倒だったし、認識や自覚の有無など一目瞭然。徒労に終わるとわかっていることに労力を割けるだけのゆとりもない。
越後を抜け、目的地までもう一息の距離に至ったことによる士気の高まりはありがたかったが、それを凌駕するほどに、意外に厳しい残暑による体力の消耗が激しいのだ。ただでさえ隠密の道程は体力を削ぐというのに、日、一日と下がり続ける程度の気温では、気休めにさえならない。かといって、ここで一息に冷え込まれてしまっては、他の誰がどうなるかはともかく、自身が平泉の地を踏むことは限りなく困難だろうと知盛は冷静に推測している。
「お、休憩みたいだな」
と、先頭を歩いていた銀が足を止めたのを見やり、将臣が笑いながら天地の玄武を振り返る。
「しんがり、交代するか?」
「いえ」
羽目を外すようなことはしないが、許される限り思い思いに体をほぐし、水や軽食を口にして次の出発に備える面々とは対照的に、疲労の色などろくにみせずに答えたのは敦盛。言葉を紡ぐ寸前、確かに自分に据えられた意識を正しく捉えて、知盛は視線で沈黙を命ずる。
気づいていないのなら黙っていろと。気づいているのならなおのこと、黙っていろ、と。
「私は、まだ大丈夫です」
「そうだな。このまま、我らがしんがりである方がいいだろう」
「そうか? 先生までそう言うんなら、任せるけど」
続いて同じく肯定を重ねたリズヴァーンに将臣は申し訳なさそうにしつつも素直に譲り、近くに水場があるという前方からの情報に踵を返す。
「汲んでくるから、お前のも寄越せ」
言いながら既に知盛の手中から竹筒を奪い取った将臣に、最初から動くつもりもない知盛はにったりと笑ってみせる。
「お気遣い、痛み入るな」
「そう思うんなら休んどけよ」
憎まれ口には憎まれ口を。けれどそれを告げる瞳には確かな気遣いを。器用なことと、もう忘れさせてしまいたかったのにと、思いはするが不可能なことに足掻くほど知盛は将臣を見くびっていないし、己を過信してもいない。ただ、その意識が完全に前方に向けきられるまで、細く長く息を吐き出すことさえとどめる程度には、矜持が高いというだけなのだ。
ぴりぴりと痛むこめかみを軽く揉みほぐし、何気ないそぶりで手近な木に軽く背を預け、知盛は小さく嘆息する。
「あの、知盛殿」
悪気なく、声を潜めて会話を持ちかけるために距離を詰めたのだろう。結果的に一気に周囲の陰気の密度を上げた存在におずおずと声をかけられ、薄く瞼を持ち上げるだけで知盛は続きを促す。
「もし、お辛いのでしたら、弁慶殿にそう――」
「言って、どうなる?」
敦盛が言いさした内容など明白。あまりに美しい正論と気遣いにいっそ仄かな苦笑さえ湧く心地を味わいながら、知盛は冷厳に言葉を断ち切る。
「他の連中が何を考えているかは、知らんがな。少なくともあの男にとって、神子殿らは平泉への“手土産”だ」
「え?」
きょとと瞬いた敦盛の意識が己に集中する瞬間、張り詰めたその背後の気配に知盛は薄く含み笑う。
「敦盛、勘違いをしているなら、今の内に改めておけ……俺は、神子殿の供ではない」
“源氏の神子”に、俺は与した覚えなどないぞ。うっそりと嗤いながら言葉を重ね、知盛は低く謳いあげる。
「俺は俺の借りを返すため、神子殿の御身を無事に平泉に届ける一助となることを宣した。あの男はそれを知っていて、使い捨てるわけにゆかぬ八葉の代わりに、俺のことを利用している」
Fin.